nasukentaのblog

2014年07月

 池を作ろうと考えてからもう2年になる。もともと我が原野の中ほどに大きな溝があり、かつてここに川が流れていたようで石や粘土質の土の宝庫?。入手する前から時々藪を刈り払ったりしている時、ここが湿地であることに気付き、ここをどう活用するか大きな課題であった。
 
  「健太4号」を我が家に迎え入れ、2年前の正月休みの最終日にホンの3㎡程を掘る。その時は水をどう確保するか全く目途が立たないまま、気まぐれにやったこと。ところが掘り出してみると少しずつ水が溜まる。嬉々として水の溜まるのを眺めていたことを昨日のように思い出す。そして翌週はすっかり凍りついていて何となく気が削がれてしまった。その後真冬の作業の一項目に入り、気が向くまま掘り進めてきたが、約7メートル×3メートル程ののところで、生後40数年の健太4号の老体が倒れ、そのまま修理不能に陥ってからは池作りから遠退いていた。
 
 “トッチー”の勧めで新たに2tのバックホーを入手して新健太4号が登場。畑づくりの主役となって活躍。そして畑づくりが一段落し、オタマジャクシがカエルに成長したこの6月下旬頃から再び池作りに取り組んできた。イメージ 17月中旬には全体の3分の1程が形になる。
 
  畑の境界や石垣に多くの石を使ってしまったので、大きく土を掘り大き目の石を掘り出しては淵部分に据えていく。健太4号で抱えて、思っているところに、思っている角度と深さに下すのは至難の業。
 
 水が無ければ微妙な調整なり、見た目よくできるが、それがままならないので、ほぼぶっつけ本番。健太4号が悲鳴を上げそうな大きな石も苦心惨憺しながら何とか形にしていく。
 
  もともと湿地である上に梅雨時で足元がどうにもならない。健太4号の足(キャタピラー)が完全に埋まる程ながら、ちゃんと前、後ろに進むがどうにも作業し難く、翌朝はその大きな轍にたっぷりと水が溜まっている。
 
 梅雨が明けたのを機に再び作業に入る。細長い池の直径を倍増するため、大量の土砂を移動するのにとても時間がかかる。それに手に負えない巨石に出くわすと、それを避けるように設計を変更して、さらに全体が広がってしまう。イメージ 2
 
  中ほどの小島部分より北側は水が溜まっていないので健太4号で東側の土手をカボチャや冬瓜の蔓に気を付けながら崩しつつ、土砂を除けていく。
 
 少し深めに掘り進むとまたまた水が湧き出して作業が滞る。ところが晴れ間が続くと水溜まりは消え、池の水さえ底をつきそうなくらい。水漏れにどう対処するか、少しながら湧き出す水をどう池に取り込むか、難題が気力を押さえつける。
 
 とにかく形だけでも・・・と作業。写真はこの29日の様子。手前が湧き出した水溜り。右に健太4号のバケットが見え隠れしている。淵の石は概ね直径5~60cmが中心。石の先にトマトやインゲンが実っている。大石の不足、水漏れと湧き水、これからどう展開するか。今日も良い天気!!

イメージ 2 畑づくりに精を出している間は意外に好天が続き、しかも既に夏の日差し。やはり家の中はとても過ごしやすいので「ワーク&レスト」も、一々家の中に逃げ込むようにしていたが、靴を脱いで腰を下ろすものの尻がムズムズするようでどうにも落ち着かない。いつものソーダ水を持ち出して一気飲みしてはまた作業に戻る。
 
 ある時、余りの暑さに近くの雑木林に逃げ込んでみると“天国”。ホンの10数歩のところにこんな快適な場所あることに気付く。ふと思い浮かんだのが「テント」。
  那須に通うようになる前の約10年、関東一円のオートキャンプ場巡りをしていた時にいつも車に積み込んで何回となく使っていた「タープ」やキャンピングテーブル&チェアー、それにハンモックなどを引っ張り出して設営する。
 
  流石に大型のテントを張る必要もなくこれで十分。朝、ポットとインスタントコーヒーを持ち込んでおいて、昼まで家に戻ることはなくなった。午後はまた熱い湯を持ち込み、何度かここに逃げ込む。
 
 冷たい水もほしいところだが、残念ながらクーラーボックスは那須に持ち込んでないので、ポリバケツに氷を入れ、そこに水やジュースなどを入れて持ち込むものの、ホンの1時間も持たない。堆肥屋さんやクボタの“トッチー氏”などが訪れた折もここで暫しの歓談と洒落こむ。
 
  川沿いの日陰気味のところに農機具用のガレージとシャッター付きの倉庫を作ろうと思い至り、業者さんと打ち合わせたり、必要書類を整えたのもここ。不思議なことに椅子やテーブルに、他の場所ではなかなか見かけることのない黒とグレーの中間のような色をした蝶が無数に寄ってきたりする。それに“蚊”。しばしば耳元にあの特有の羽音が襲ってくる。それでもやはりここは天国。日々緑増す木々や畑を眺めると“定年後!!”がとてつもなく身近のものとして実感できる。 そうは言っても、それほどのんびりとしているわけではない、コーヒーなどで一服するとまたまたムズムズしてきて畑に飛び出す毎日。
 
 この休憩場所も、そのうち「健太2号」が常駐するようになったが、これもガレージができるまでのこと。今まで玄関前のビニールトンネル状の倉庫(あの大雪で半分潰れているが・・・)に格納していたが、畑からホンの数メートル。絶好の留置場となる。以来ここは健太2号の居城のようになっていく。イメージ 1
 
  タープの休憩所を設営したのは6月の上旬。この頃になると畑もほとんど出来上がり、長芋やアピオスも植え終えたころ。早朝このこの辺りを漫ろ歩いていると、玄関左手の杉林の根元を通って長芋などの“手”の間からちょうど朝陽が差してくる。偶然とは言え何とも言えぬ高揚感に気力も漲ってくる。
 
 写真手前は「ヤーコン」。日当たりを心配しつつも、他に場所も無くここに植えたもの。皮肉なことにここの土は黒々としていて石も無い。日当たり以外は素晴らしい畑。ヤーコンもモノになるかどうか。とにかくこの一年は少しづつ状況を確認して行って、来年は木を切るなどの整備に備えるしかない。多少条件の良い長芋もアピオスも果たしてどうなるか。とにかく秋まで見守っていくことに。
 
  7月に入ると雑草との闘い。梅雨時の雑草の勢いは目を見張るほど。雨が止んでいる時を見はからって地を這い回ること数回。週末のみの時は手が回らず、「草に追われる」ばかりだったが、気が付いたところをその都度処理できるので、当然のことながら「追われる」という感覚はなくなった。
 
   トマトやピーマン、キャベツなどの定番野菜も少しずつ収穫できるようになり、6月末から順次お世話になった方々や“健太ファン??”に、あり合わせながら送り始める。約1か月かけて約30個の箱を送り出していく。形が悪くても多少傷んだ白菜なども愛おしく、無理やり箱詰めしてしまう。受け取った方はきっと“ギョッ”としていることだろう。7月中旬になるとトマトが最盛期に入るとともに白菜は朽ち、早採りのキャベツも終盤。そしてキュウリの葉も勢いを失い、インゲンも萎れてくる。これから秋採りの白菜などの播種が始まる。
 
 あんなに待ち遠しかった収穫もあっという間に過ぎ去り、また新たに種を下す。この繰り返しが那須の暮らしの骨格となっている。繰り返しているようでいて実はいつも挑戦の日々。畑づくりも1年に1度、モノによっては2度作付するのが精いっぱい。野菜作りは点が面となって、それを採り終えることでやっと一回。農業経験があと何回積めるかと思ってしまうこともしばしば。でもこれが「健太の那須暮らし」。

 待ちかねたように那須に乗り込んだのは4月2日(1日は殊勝なことに一応書斎などの整理をした)。意気込んで原野の開墾に入る。これまでの週末暮らしと違っていたのは何と言っても「開放感」。
 
 まずは健太4号で表面を均すようにしながら、「タラの木」や葛の根を抜く。これまで借りていた畑を全て返したので、とにかく畑にして種播きなどしないといけない、と焦るものの、思っているところを全て畑にしたとしてもこれまでの半分以下の面積。何をどこに作るかなどと迷いつつも、まずは「ジャガイモ」を植える場所を物色。昨年、適当に「ホウセンカ」を植えたところを中心に健太1号で強引にロータリーを掛けてみるものの、石などに阻まれてどうにもならない。
 
 コツコツと鍬で起こしながら石などを片していくものの、埒が明かない。モヤモヤしながらも少しずつ起こしていく。
偶然にも石の少ないところだったので何とか5~6坪を仕上げ、堆肥を入れて畝を立て4種のジャガイモを植える。さらにその続きを起こし始めたものの、砂利混じりの固いところにぶつかる。悶々としているうちに春の雪まで降ってしまう(4月6日)。イメージ 1
 
春の日差しに雪も溶けたところで開墾再開。石の多いところなので思い切って健太4号で深さ50~60cm程の深さに荒起こししながら大きい石を抜き、さらに4歯の鍬で表面から30cm程の深さで“うなう(=耕す)”とゴロゴロと石が出てくる。
 
 たちまち大量の石が積みあがっていく。拳大のものから一抱えもあるようなものまで掘っては放る作業が続く。
 
  健太4号と鍬で主だった石を抜いたところに健太1号でロータリーを掛け、さらに堆肥と苦土石灰を散布してもう一度ロータリーを掛ける。何とか畑らしくなったところで健太2号でサク切りをして、そこに堆肥と化成肥料を入れて畝にする。そして黒マルチをかけて完成。(写真の)手前から「健太4号」「2号」そして一番の古株の「1号」で、彼らが畑づくりの主役の座を演ずる。イメージ 2「2号と4号」は既に2代目。
 
  大量の石の処理にまたまた悶々とする。軽ダンプで川岸に運んで・・・などとボンヤリとイメージしていたものの、道路との境界に並べたり、花壇部分と畑の境に石垣を積むことに思い至る。
 
  小さめの石は境界線づくりに並べて使い、大きい石と細かい石を組み合わせて石垣にする。石垣はまず大きな石を土台代わりに据え、隙間を小石で埋めるようにしつつ、中くらいのものをその上に積み上げる。一つ一つの石をしっかりと固定させるのことが肝心。
 
  素人作りなので、どうしても真っ直ぐに行かない。事前にビニール紐を張ってそれに沿っていたはずなのに・・・・・。イメージ 3
 
   ふと気づくと曲がってしまっている。1m程を積み直すこと度々。曲がっているのに気づいて方向修正したところは、半月状に窪んでいてあまりカッコいいものではない。生まれて初めての作業とは言えどうにも気になる。
 
  大きな石を「4号」て据え付けている時、窪んでいるところに何か植えれば、かえってカッコいいことに気付き、急に作業が捗り出す。
 
 何事も「具体的に動くことなんだなー」と言う、相田みつを先生の言葉を実感した瞬間。思い悩むことが多いのは「やる気」に陰りがあるからで、「気力の醸成」がこれからの課題かもしれない。
 
 この石の活用は、現在の池作りに展開し、大きな石が足りずに、またまた悶々とすることとなる。皮肉なものだ。      
 

 第二の人生がスタートして早くも3カ月が過ぎ、イメージ 1
何とか形になってきたことと、「ブログを再開して!」と言うほんの一部の声に気を良くして、新たにブログを立ち上げた次第。これまでの週末暮らしについては「与太郎のつぶやき」に。当面、「健太の那須暮らし」に注力の予定。
 
 写真は、那須に移住する前(3月下旬)の我が原野で、4月からここを開墾して畑にし、今やっとそこからの収穫が本格化してきたのを機に、これから気の向くままにアップしていく予定。
 
 梅雨空の続く中、外作業ができない日も多いこともあって、これからその後の顛末やら日々の葛藤や喜びを書いていこうと思ったところ。
 
 現在のわが畑は、いろいろ思い出し話も入れながら順次アップしていくことに・・。
 
  実は健太の第二の人生は、今のところ戸惑いと逃避の連続。悶々とした日々や「やったー」と言う日など、徒然なるままに書いていこう。気が向いたらご高覧あれ。イメージ 2
 
 下の写真は、7月5日朝のもの。4月から開墾してきた畑の北側半分程度。ビニールトンネルはトマト。極力水分を少なくするために雨除けしている。手前の小さめのものは「黄系トマト」で、ここに4株ほど。奥の長い方には5種(実の大きさ、生り姿などが違う。当然味も)20数株。こちらは一般的な「赤いトマト」。
 
 画面では見えないが、トンネルとトンネルの間は大きな溝があり、そこに造成中の“池”が広がっている。
 
 現在カエルとオタマジャクシ、ゲンゴロウなどが無数に住み着いているため、水を濁らせないように気を遣うので、作業も思い切ったことは出来ず躊躇することが多い。
 
 右手前の作物は「コールラビ」。今年はどんどん大きくなって、現在直径12~3cmにもなってしまい、すでに収穫適期を過ぎている。その左は「白菜」。30cmを超える高さにまでになっているが、この時期のものはとても腐りやすく、すでに数個が朽ちている。このため少々巻きが甘いものを収穫する。
 
 その隣は「枝豆」。手前のトマトの右は「ジャガイモ(3種)」。上方の雑木林と畑の間に「大黒沢川」が右から左に流れている。この周囲は「蛍」が飛ぶ。毎年その数が少しずつ増えてきている。
 
 梅雨時でなかなか思うような作業ができず、あっという間に雑草が蔓延る畑とその周り。「草と青虫」が大手を振っている。雨の合間の除草の日々が続く。

このページのトップヘ