1月29日。またまた雪が降る。1週間前の雪もやっと融けて「さーて」と思っていたところだったが深々と降りしきる。木々の騒めきや動物たちの気配も掻き消され静かに降る夜(晴れていれば何がしかの“営みの気配”とともに様々な“音”の中で夜明けを迎え、白みかかるともに数少ない冬鳥たちの囁きを聞く)イメージ 1
 
イメージ 2130日の朝。またまた15cm超の雪がすっぽりと全てを包み込んでいる。予報では40cmとか言っていたが、我が家は標高410m余で、20cmを超えることは2年前のドカ雪を除いて10数年間で2度ほど。しかも2月後半だった。ちょっと大騒ぎし過ぎの感もなくはない。
 
イメージ 3とは言え、健太ガレージ付近や南雑木林際から畑の中ほどまではなかなか融けず、昨年も10cm程降った雪がいつまでも残る中、クヌギなどの大木を伐採したのを思い出す。年末に東隣の杉林が伐採されたので、今イメージ 4年は早く融けるだろうと期待していたが、平年通りといったところ。そう甘くはない。
 
ベランダの雪を掻いて埋もれたクサリを掘り出すと、小屋から飛び出してくるコロ。4本の足がすっぽりと埋もれながらも平然と匂いを嗅ぎまわる。30分くらい歩いたもののいつもの半分程度の距離。途轍もなく歩き難いが、コロの黒い姿がウロウロしているだけで一切が白く包まれた中「無心」に歩く。ひょっとするとこれが「空」という感覚かもしれない、などと的外れながらも妙に内省的になったりする。イメージ 5
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年末26日以来、頼みの「健太4号」が故障中(修理を頼んでいるがなかなか思うに任せない)なので、最低限の範囲をシコシコとスコップで雪掻きをするも、ベランダや玄関周り、それにアグリケビンまで30cm程の細い通り道を開くのがやっと。
 
終日ストーブのお守りをしながら、遅れに遅れていた100余人分のレポートなど読んでいるとあっという間に日が暮れていく。結局、翌日午前中いっぱいまで食事の支度や散歩以外は座りっ放し。
 
午後一番に宅急便屋さんが荷物を届けにやって来て、やっと町道からのアプローイメージ 6チに轍が出来る。「(誰も出入りした様子がないので)留守かと思った」とホッとした表情。何はともあれ採点表を郵送すべく郵便ポストまでスバルで出かけてみると町道から県道は“水気を絞った大根おろし”状の道。国道に出てやっと黒いアスファルトの上。流石に除雪がしっかりしている。
 
3日間程雪の中に閉じ込められたかのようにグズグズと過ごしながらもハウスへの散水や薪割用の斧の補強など細々したことで精々2時間くらいの活動で終始する日々。「斧」は那須に居を構えた直後に、仲介の不動産屋(○○情報館)の機関誌の「表3」に載っていたものを買ったもので、もう15年余も使っているが、どうしても付け根部分が薪の端に当たってしまい、ボロボイメージ 7ロになり始めている。当初から針金やゴムなどを縛り付けてはいたが、いつの間にか長さ5cm、幅1cm、厚さ5mm程欠けてしまい、どうにも気になって薪割を躊躇う昨今。
 
もっと本格的な対策はないか、とネットなどで色々探りつつ、半切りした鉄パイプをU字型ボルト2本で締め付けることに。サンダーで切った鉄パイプをゴムとともに締め付け、ボルトの余計な部分をカットする。何とも不恰好だが、安心して使えイメージ 8そうな感じに。
 
しっかり着込んでの朝夕の散歩もアスファルト道路をと思うものの、“コロ”は一向に気にせず、脇道にグイグイと引っ張っていく。「えーい、儘よ!」とコロについていくと完全なアイスバーン。時折通りかかる車を避けるのに一苦労。朝から晩までツルツル。路肩の雪も全く融ける気配もない。「どうしてこんな道を歩きたがるのか」。気儘なコロにとってはきっと楽しいのかもしれないとジッと我慢。
 
イメージ 9県・町道の周りが殆ど融けた2月3日。相変わらず我が家の周りだけは真っ白。特に健太ガレージ付近は若干の吹き溜まりも手伝って20cm超えの雪。「健太4号」が健在なら「あっという間に除けられるのに」、と悶々とする毎日。1度はクボタの担当者が修理に来たが雪が深くて「2駆のライトバン」が入れずに帰っていったまま。因みに、長年お世話になっていた“トッチー氏”が担当地域変更で“笹やん”に交代。小太りでズングリした笹やん。営業の傍ら自ら修理に挑む積極派?
 
朝の散歩の後、コロの催促に煽られながら2人分?の朝食を作って掻き込む。ほぼ同量のご飯と具沢山の味噌汁(コロのおかずは煮干しだけ)だが、コロはあっという間に食べ終えてデンタルスティクを要求するので大慌て。食べ掛けでコロの催促への対応を余儀なくされる。(以後、先にコロに食べさせてから落ち着いて食べ始めることにしたものの、大抵は朝ドラが始まっている)
 
洗い物や片イメージ 10づけなど曲がりなりにも家事をこなすともう9時。「どうせこの雪の中、まぁ良いか」とメールをチェックしたりしていると、何故かネットショッピングに嵌り、これまでホームセンターで調達していたチエンソー関連の部品や消耗品、さらには調理釜、遠赤ストーブ、簡易デスクや椅子まで買ってしまい、2階の寝室の隅に書斎モドキを設えたりする始末。ところが、2階と言うところは昼の日差しの暖かさやストーブの熱が溜まっていて、これが実に快適。ストーブを背にひざ掛けをかけて過ごす生活から一転する。
 
これに伴って、テレビの掛け流し時間もこれまでの3分の1以下に。午前中は左手の窓から燦々と陽が射し、とてもパソコンなど弄っていられず、カーテンより圧倒的に安価で便利なシャッターブラインドを調達。序でに1階の窓など計5箇所に取り付ける。1.65m幅を中心に都合4500円程で済む。取り付けも当初は1か所に2時間もかかったが、慣れてくると20分程で完了する。「安価で、簡単で便利」なことこの上ない。
 
イメージ 11もともと週末暮らし用だったので、カーテン類は一切なく、冬は陽の暖かさを享受し、夏は緑風を楽しんでいた(要するに短時間だったからこんなことを言っていられた)が、“住まう”ようになるとどうにも陽射しが気になったり、何かと不満というか欲が出てくる。ともあれ一段落。
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雪に閉じ込められ家の中で過ごす時間が長くなると、ガンガン燃やすストーブの熱を暖房と湯沸かしなど以外にも活用したくなってくる。そこで始めたのが「切り干し大根づくり」。ムロに保存してある大量の聖護院大根を時には厚目の銀杏切りに、またある時は千切して、「干し網」にいれて干す。
 
フードドライヤーを使えばとも思うものの、聖護院大根1個分がやっとで「とても間尺に合わない」。3段の籠2個で4~5個分。小さいものだと78個分を乾かすことができる。23日で干し上がるとコロの頭の倍くらいの物1つが両手で包むほどまでになる。
 
1週間程続けているうちに、「陽射しを当てる方が美味しいはず」と陽当たりの良い軒先に物干しを設え、陽が当たり始める頃物干しに吊るし、夜はストーブ脇にぶら下げる。こうして干し上がったものは心なしか白さが増していていかにも旨そうイメージ 13な気がする。いくら作っても、出来上がってみると「まだこれだけか」と思うばかり。ここ3週間ほど毎朝、毎晩切り干し大根づくりが日課になっている。
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平年並みとは言え、急に寒気が襲ってきたためか、これまで順調?に育ってきた「イチゴ」の葉が赤くなりはじめて大慌て。暗くなる頃から朝9時頃までの間ハウス内で石油ストーブ(農業用の専用器)を焚き始めたが、生育が止まってしまった感じ。「2月にはイチゴを食べる」という夢は儚くも遠退いてしまう。イメージ 15
 
雪が降って1週間もすると川と畑の間の雪が融け、黒々とした部分が出来たので、年末に軽トラで運んだ(「魔の丸太運び!!」)大量の丸太を適当な長さに切り始める。不調を極めたチエンソーもネットでガイドバーやソーを調達して完全に復調。いよいよ雪から脱しはじめ、忙しさが戻ってきたのは2月中旬過ぎ。春の予感と共に気力や体力も蘇り始めたようだ。