1970年頃にメリーチョコレートが始めた「女性からチョコ」(日本だけ)の「バレンタインディ」。生まれつき縁遠かったが、幸いにも年に23個の義理チョコにはイメージ 1恵まれるようになったものの、退職後は完全に無縁のものと思っていた。ところが、ブログ愛読?の方から「コロ様」あてに“オカラクッキー”を頂く。ありがたい誤解だったとも言えるが、コロは8歳くらいの♀。そのあたりの紹介を欠いたために大変失礼した次第。一つ一つあげていくと殆ど丸呑み状態なので袋ごと一気にあげる。ほんの3秒ほどの至福の時を過ごしたコロは、「もっとくれ!!」とばかりスリ寄って来る。
 
イメージ 2この日突然の暖かい雨が降り、なかなか融けない畑の雪が見る見る融けていく。気温と地表の温度差が大きく、モウモウと霧を立ち上げ“融けている”ことが遠目でも確認できる。その幻想的でロマンチックな趣に一瞬時の経つのを忘れるほど。
 
イメージ 3そんなことはお構いなしのコロ。何時ものようにスタスタと散歩を堪能している。山間の一軒家に暮らしていたので、少しでも“都会慣れ?”させようと、ここのところ毎朝「那須高原SA」のドックランにまで足を延ばす。車にも不慣れで、特にトラックやダンプをとても恐れ、身をすくめている。反面軽乗用車には立ち向かう素振りさえみせる。
 
イメージ 4サービスエリアで大型トラックやバスなどの傍を無理やり通って慣れさせるようにするばかりか、この付近では極めて珍しいエレベータもあるので、行く度に乗せる。当初は無理やり乗せていたが、ここのところ自ら乗るようになり、ドアの開閉を催促するかのような仕草さえ見え隠れする。
 
イメージ 5エレベータで小高い丘にあるレストランや売店のあるところに出て、右に大きく回っていくとドックランがある。リードを外しても走り回るわけでもなく、どこかしら不安気な表情すらみせる。無理やり追い回して走らせた後、小さなビスケットを放ってやるとハシャグように走り回る。ただビスケットなしでは傍らでジッとわが顔を見つめているばかり。ビスケットがなくなるとともに再びリードをつけ、わざわざエレベータで駐車場に下りてから家に戻って来る。
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雨模様の天気に中断していた薪づくりを再開。まずは割らなくてもよい細いもの(直径123cm以下)を選り分けながら積み上げていく。全体の8割近くはこうした“小物”。半分程まで積んだころ秋○さんが4t車でやって来る。50本ほどの杉丸太を積んで来て、「丸太小屋の材料だよ」と言いながら、(「これ以上車が入れない」と言うので・)アグリケビン前の「1号陸稲場」に降ろしていく。
 
イメージ 6「まだ薪にするような細い丸太があるから運んだら・・」と誘われ、たまたま自宅から10分程の現場なので軽トラで出かける。3回ほど運んだ後、ハウスに散水しながら、半ば強引に運ばれてきた杉丸太のうち2本程の皮剥きなどをするも、長さも太さも不揃いで精いっぱい整理・加工しても“丸太小屋の骨組み”さえままならない。小屋づくりの材料にはなり得ずとも、今はまだ薄っすらイメージしている程度だが、薪小屋やコロの新居、それに野外テーブルやベンチなどには充分使えそう。
 
翌日、中途半端になってイメージ 8いた「薪積み」を終え、いよいよ太めのものを割り始めようかと意気込んでいると再び秋○さんがやって来る。今度は薪用の細めの丸太(2mもの)を軽トラで2台分ほど持って来る。クレーンで降ろしながら「燃料代くらいほしい」と言って帰って行ったが、適当な折に(押しかけとは言え)相応の御礼(幾らくらいかが問題ではあるが)をしなくては・・。
 
ハウス前の通路(杉丸太の脇)に降ろされた薪用の丸太を健太ガレージ脇に運ぶ。お蔭でハウスから健太ガレージまでの50m程の川沿い部分が薪用の丸太で埋まってしまった。切って割って薪にするのも容易でない量。恐らく2冬分は充分ありそうなので、薪小屋などを設えなければ・・と思っているところ。
 
町道からの我が家の入り口に立っている2本の丸太も立てて10余年経ち、すっかり朽ちてボロボロ。さらにその柱を丸太運びの大型トラックが倒してしまい、適当に立て直しておいたがちょっとした大風が吹くと倒れてしまう。「早く立て直そう!!」と思いつつ、1ヶ月近く過ぎてしまっていた。年末の「“魔の丸太運び”」で積み上げた丸太を切り始めたのは2月11日。その際、我が家の入り口に立てられるような太目の丸太を数本残しておいた。
 
どれも寸足らずで形もバラバラ。とにかく「何とかしよう」と、比較的恰好の良さそうな2(ケヤキと樫)を選び、皮を剥くものの、これが結構大変。鉈で削ったり「皮剥ぎ器」で引っ掻いたりしながら何とか剥き終え、寸足らずをカバーするたイメージ 9めにドリルで穴をあけ、転がっていた長さ4050cmの太い鉄筋を差し込んで、さらに全体に防腐剤を塗ってやっと建て替えたのは20日頃。

 何とも頼りない門柱ながら、少なくとも朽ち果てた丸太が立っているよりは圧倒的に見栄えがする(当たり前!!)。この際、何とか「UtopiaKenta」の表札をつけようと、これまた運んで来た丸太の中から、適当な形態の物を選び表面にカンナ掛けする。マジックでヘタな字を書き、ドリルで彫を入れてペンキで着色。さらに全体にニスを塗って仕上げた看板というか表札と言うか、はたまた案内板とでも言うか、とにかく意味不明の板を取り付けたのは222日。
 
これが何とか思い通りになるまでにホームセンターに通うこと3、4度。“走りながら考える”こととなったため、やれ“彫具”だ、ペンキだ、吊り金具だと、その都度買い揃える羽目になった。ともあれ、10数年何となくイメージしていた“終の棲家”が世間様に顔を出したことになる。
 
当初完全に木々に埋もれ、そこに家があることすら想像を絶していたところが、周りの木が切られ殆ど丸裸。おまけに入り口には数年前2軒の家が建ってしまったイメージ 10ので、全く違った世界のようになってしまったものの、シコシコ作り上げてきた「我が世界(まだまだ未完成だが・・)」が立ち上がった感じ。
 
誠に中途半端ながら「杉丸太」が積み上げられたことで、急に丸太小屋づくりが身近になったような気になってしまい、少しでも杉丸太を調達しようと、「(今年の)年末に伐採しよう」と思っていた玄関前のZ氏依頼の木のうち78本の杉を伐採し始める。
 
根回り50cmを超える太―い藤蔓が絡んだもの、越冬中のスズメバチの巣がぶら下がっているもの、直径1mもの大ものなどバリエーションたっぷり。ある時は尻込みし、またある時は果敢に挑んだりしつつ、枝の片づけまで都合2週間(急に5月の気候になったと思ったら、真冬に戻って雪化粧したり、天も心も乱れっ放しの日々)
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健太4号も5時間にも及ぶ「笹やん」の奮闘と数万円の出費で復活し、切った丸太運びや枝寄せなど大活躍。4号なくしては挑めない大イベント。生まれて初めての大木(直径1m、高さ2728m)の伐採は「屁っぴり腰」の連続。「ドザーン」と倒れた時は完全に意識を失っていたような一瞬の空白。そしてそれから暫くは足が震え続けていた。「自然に挑む」のは結構な“勇気・、決断・、気合い・、度胸・”、それに大いなる後悔と達成感。何とも複雑な心境。
 
気が付けば3月も14日。80年代に福岡の老舗菓子「石村萬盛堂」が、“マシュマロのお返し”をとPRしたことに端を発した「ホワイトディ」。コロのお返しもしないまま、またまたシトシト雨が降っている(夜半は雪になるかも・・)