Action-memoを書かなくなって3か月を経ようとしている。色々考えずに“思いつくまま”過ごしているうちに、「種蒔き」など春の農作業が気になり始める頃になった。ふと、「キャベツや赤米の苗作りもそろそろ始めねば・・・」と思い始めイメージ 12たものの、「昨年は何時頃だったかなー」とボンヤリ思うばかり。播種時期に“迷う”ことはこれまでなかったように記憶している。寄る年波で自然との“絡み合い”の感覚が少しずつズレてきて、最近は改めて確認する必要に迫られる。「歳はとりたくない」と思うこともしばしばながら、「歳をとることによる“楽しみ方”」などもいつの間にか身についてきて、「目の当たりにしている現実を受け入れ、素直に向き合う事でそれを“楽しめる”ようになってきた」ようにも感じる。
 
「思いつくまま・・」にと言っても、ここのところ結構忙しい。伐採や薪づくりを楽しんでいたある日、50㎝を超える太―い楢の木を運んでいるとふと「椎茸などの駒打ちをしなくては」ということで、丸太の整理もそこそこに、「健太ガレージ」前を通ると「健太4号」に目がいく。「そういえばオルタネーターの修理が中途半端でもう1年も経っている」ことを思い出す。クボタの笹やん(昨年12月末で定年退職)がリビルトオルタネーター(再生発電機)に交換したものの、発電不良の状態のまま(これまでバッテリーのみで運転していたが、ここのところセルの回りが悪くなってきてしまつた)2月中旬にあいさつに来た“(新任の)益っさん”、「310日過ぎには・・・」と言っていたが、どうしたものかと思いつつ、「セルを回してみると、「クワックワッ」とゆっくりながら回って、何とかエンジン始動。
 
せっかくなので、雑木林と畑の間の通路にある栗の木の切株(直径約60cm、伐採してから2年有半の間邪魔にイメージ 1なっていたもの)の伐根を始める。根の周りを1.5m程掘り下げていくと北側部分で巨大な石にぶち当たる。直径1m余の楕円状の姿を見るまでに1時間近くからかった。それを地上に引き出すのにも一苦労。当然重すぎてバケットで掬い上げられないので、緩やかな斜面を作り、そこから引きずり出す。やっと根周りを掘ったものの肝心の根っ子の方はビクッともしない。さらに深く掘ってやっと「グラつく」ようにまでなったが、既に日没時間。完全に体が冷え切っている。翌日もからかってみたが、相変わらずグラつくだけで手に負えない。
 
3月初めの頃は特に雨も降らず、辺りは結構乾燥して、埃が立つ状態なのに、第二陸稲場の南側は、「4号」のキャタピラが沈み、ドロドロ状態になっている。「これを何とかしなくては・・・・」とまたまた思いつき、翌日早速、重さんに電話してイメージ 2「竹」を貰いに行く。「今年は、軽トラが横付けできる屋敷の裏手の竹林を切ったら良い(2年前は切った竹を担いで、完全に泥濘んだ田んぼの中を20m運び出した)」と言うので勇んで出かけたのは35日のこと。竹林の周りは梅などの木々があり、竹林の端は胸もとに迫る程の「細い小竹」がビッシリ。さらに竹と混じって栗の木などもあったため、切り出すのに一苦労。開始から2時間程は重さんが手伝ってくれたが、あとは黙々と竹をイメージ 3切って、枝を払って大凡5mに切り揃える。そして適当なところで軽トラに積み込み、片道67km(うち4~5kmは国道4号線)を運ぶ。途中の東北道の高架下を通り抜ける時、長いものがあるとそれが天井を擦るので慎重に進む(一度は配線に引っかかってしまって大慌てでバックし、7km程迂回を余儀なくされた)。一心不乱で延べ2日間かけて軽トラ5台分の竹を入手する。2日後の小雨の日に、払った枝を焼却処理するつもりで出かけたものの、「セシウムが気になるから・・・・」との山の神の御宣託で手も足も出ず、暗渠(あんきょ)に入れ込む分の枝を積んで戻る(まだ払った枝の処理が残ったまま)。震災後6年経って、殆ど基準値以下となった那須でも“セシウム恐怖症”は癒えることはないんだと再認識した次第。
 
数日放ってあった「栗の切株」の伐根を再開する。兎に角、「4号」のバケットイメージ 4先で根をグリグリ揺さぶって、少しでも大きく動くように根気よく。20分程すると突然大きな根が10cm程動く。こうなれば俄然勢いづいて3か所くらいから攻め、後は一気に引きよせるように抜き取る。当然、長さ2m、最大直径1.2m程の巨大な切株はバケットで手に負えるはずもなく、例によって2m程の緩い坂道を設えて、少しずつ引き出し、排土板とバケットで挟み込むようにしながら地面を引きずって川岸近くまで移動。後の大きな穴を埋めてやっと2年有半通路部分の真ん中で邪魔し放題だった栗の切株の伐根を終える。
 
イメージ 5伐根の後の何とも清々した気分に勢いづき、畑の脇に鎮座ましましている地面近くの直径が1m近いクヌギの切り株の抜根に取り掛かる。折角生えそろっている麦の脇を慎重かつ大胆にこちらは2m近く掘り、例によって“揺さぶる”こと1時間余、長さ2.5m、太さ1.5mの巨大な切株を足掛け2日、延べ6時間で抜き終える。ここまでくると伐根も要領を得て一気呵成に・・?
 
 少なくとも畑作りに支障のある大木の2個の切株が取り払われて浮ついた気分になっていたが、もともと「シイタケなどの駒打ち」をするつもりだった“はず”と我に返り、翌日、軽ダンプにエンジン発電機(新ダイワ、23A)、椎茸ドリル、ハンマー、それに駒菌(椎茸1000個、ナメコ500)、さらに、『富士吉田近郊在住の旧友』がパワー(手動)ウインチなどと共に送ってくれた電気ドリルを積み込み、思いイメージ 6ついてから1週間近く過ぎた10日にやっと「駒打ち」に着手する。
 
大量に積み上げてある原木用に切り揃えた楢の木の間に埋もれるように積んである原木用の桜の木。まずはこれに“ナメコの駒”を打ち込むことに。ドリルで穴あけをする際、件の旧友から頂いた電動ドリルを使ってみる。もう10年も使っている我が家の“シイタケドリル”の半分にも満たないコンパクトさで、気構えたりせずに簡便に使えるものの、一つ一つの穴あけに結構時間がかる。「何とか1両日中に終えたい」との目論見から、結局一瞬で穴があく、使い慣れている方で作業することに。軽ダンプの荷台に1本1本乗せて、穴をあけて駒を打ち、そのまま荷台の前の方に転がしたり積み上げたりしていく。「ナメコの駒」500個は丁度切り揃えてあった大小15本で打ち込み終え、「奇跡か!!」と一瞬ながら思ったりする。荷台に積んだまま、10m程南の薪と薪の山の間に運び、“仮伏せ”すべく、地面に並べておく。
 
次いでシイタケ(1000)。直径10cm40cm超まで数多ある中から、20cm前後イメージ 7の太さの物を選り出し、軽ダンプと発電機を移動しながら、駒を打ち込んでは荷台に。30本余に打ち込み終えると丁度荷台いっぱい。“ナメコ”の隣に3本重ねして仮伏せ。その上を遮光ネットで覆い、周りに落ち葉などを寄せる。開始から都合5時間程で完了(今年はホダ木の本伏せに適した環境のところがいっぱいなので、ホダ木づくりはこれまで)
 
イメージ 8翌日から、さーて「暗渠づくり」だと張り切っていたものの、昨年末にGSから貰ってきて薪にできないまま転がっている桜の丸太(直径60cm)8個程が邪魔になるので、まずは太丸太を軽ダンプに積み込む。「4号」で積み込もうとしたものの、未熟な操作技術ではバケットに乗せることに時間ばかり掛かるので、荷台に厚板を掛けてその上を転がしながら積み込む。それをベランダ下の果樹コーナーまで運び、同じように厚板の上を慎重に転がして降ろし、ブルーベリーや柿などの木々の間に適宜配置してからシャベルで10cm程の穴を掘っては埋め込んでいく。特に冬の間はガランとした一角に突如切株にも似た太丸太が点在する、一種異様な世界が出現する。これから順次、丸切りした木の(踏み)厚板をなべてフロムナードにしていくとともに、草花やオブジェなどを配していくつもり。
 
イメージ 9丸太が片付いたところで、第二陸稲場南の通路部分に幅7090cm、深さ60150cmの溝を掘る。畑の端から川岸に向けて傾斜になるように掘り進め、川に面するとイメージ 10ころが150cm程の深さになるようにする。「4号」を駆使すること小一時間弱で30m程の溝が出来上がる。川の方に以前北雑木林の北端に流れ着いたものを運んできて置いた巨大な“管(直径80cm、長さ5m)を伏せ込み、そこから東雑木林に向けて、竹を入イメージ 11れていく。地表から15cm程下になるくらいまで竹を敷き込む。その上を竹の枝で覆い、そして土を戻す。作業を始めて3時間程で“暗渠”が完成。昨年の梅雨時から「あーでもない、こーでもない」と考えたりしていた途方もなく長い時間が虚しくなるほど呆気なく出来上がる(竹などの準備もあったが・・)
 
翌日は、池の排水管の敷設作業。池に自然流水を引き込んだ際に大いに懸念していたように池の水が溢れ出し、健太ガレージへの通路などが水浸し。池を作って1年有半経つので“水漏れ”も当初と比べ物にならないほど少なくなっていて、特にイメージ 13昨今の“水の溢れ出し”はどうにも手に負えない状態になっていた。そこで、φ50mの塩ビパイプを調達し、池の南端から川縁まで約25mに排水管を敷設する。「4号」で幅4050cm、池から川に向かってなだらかな傾斜になるように深さ30120cmのみぞを掘る。うち4~5mは畑の南端部分を突っ切る形になる(これが最も敷設を躊躇させる原因でもあった)。それに折角砂利イメージ 14を敷き込みランマで鎮圧して綺麗になった健太ガレージ前や通路がまたまたグチャグチャになるので、始めてしまえば4時間あれば終わる工事も結構な決断を迫られた感じ(大袈裟か・・)
 
池や陸稲場の排水工事が終わったのは20日。次々に熟してきたが、この間にもコロ達の散歩中を中心に「(ご無沙汰している)ブログも更新しなくては・・」「この3月末で退職する某大I教授にあいさつ状か何かを・・」などもずっと気になっていたので、「忙しいなー」と思うイメージ 15ことが常態化していた。寒さの中でちゃんと?マンサクが咲き、福寿草や水仙も春を告げ、畑作りを急かしたりもする。action-memoの有無にかかわりない日々の流れがそこに横たわっている。
 
ここのところ晴天が続き、朝から晩まで雑木林と畑の境界線上、そしてその周辺で過ごしていたが、3月も後半になると、強風に煽られたり、雨に見舞われたり、そして今日(27)は「なごり雪」が降った。それにしても3cmを超える積雪で、冬将軍は余程“なごり惜しい”のかもしれない。これからは畑作業が本格化するのに出鼻を挫かれた感じ。明日は暖かい日になるとの予報。それに加えて「那須町で雪崩、高校生等8人が心肺停止に・・」と小躍りする心を塞ぐようなニュース。文字通り“春は荒れる”。