nasukentaのblog

2017年05月


「晴れ間がほしい」をアップした直後、当ブログの神通力?か、スッと晴れ間がイメージ 14広がり、翌日から気温も急上昇。その後30℃に届かんとする程の暑さが数日続く(7月並みとの一部の報道も)。畑はあっという間にカラカラに乾き、日中はキャベツなどの葉も項垂れている。ベランダ下の果樹コーナーに折角植えたパンジーやビオラなど約50株も瀕死の状態。20mのホースを伸ばし、毎朝の散水が欠かせない。
 
310日前後から山仕事の合間に進め始めた「果樹コーナーの“プロムナード化”」。椎茸の駒打ちに入るイメージ 1前にふと目についた(GSから貰ってきた)40cm程に丸切りした桜の太丸太8個を運び込んだことに端を発する。一種異様な世界を醸した空間に、若干の違和感を抱きつイメージ 2つも「このまま丸太を並べて・・」と思い始める。数日後に、「エンゼルや裸婦のオブジェを・・」と“柄にもない”突飛なことを思いつき、早速ネットを探る。手頃な値段で買えるものは高さ30cm前後のもので、イメージしていた1m越えのモノなどイメージ 3は最低でも2万円。とりあえず34千円のエンゼルなどをいくつか入手して、桜の太丸太の上に並べる。白く小さいオブジェがポツンポツンと並んだ光景に「まあー、那須では結構珍しい庭になったんではないか」と思う反面、「何となく中途半端」な気がしてならない。
 
「やはり1m前後の見栄えのするものがほしい」といイメージ 4うことで、ビバホームで以前から目をつけていた「(水浴する)女性像」を思い切って購入(2万円)。直径6~70cmの杉の切株を据え、その上に置いてみる。買う際にちょっと迷った濃い目のグレー。他のエンゼルの白と何イメージ 5となくマッチしないので、早々に白い塗料を吹き付け、都合5体が並ぶ、これまた異様な世界が出来上がってしまう。さらに、直径5イメージ 6070cmの杉丸太や切株を20個程用意して、適当な曲線を描くように「踏板」代わりに敷設すると一応プロムナードのような形が出来上がる。ただ、丸太ばかりがゴタゴイメージ 7タ並んでいるようでどうにもすっきりしないが、異様さを超えた「それなりの姿になった」と強引に思い込む。
 
連休前半に並べた丸太や切株の周りや間にパンジーやビオラなどを植え込む。どうにも丸太ばかりが目立つものの、植えた草花がそれなりに大きくなれば「おさまりイメージ 8が付くだろう」と言うことで、思い付きからほぼ半年以上かかって「プロムナード化」が一段落する。不思議なことに写真を撮ると何とも間の抜けたような感じがしないでもないが、毎日眺めているうちに「こんなものかなー」と思うようなっていく。なんだかんだ言っても“慣れ”というのはそれなりに収めてくれるものだと感心するばかり。いずれにしても、「ローバーポート」脇のレンガを並べたものとは大いに趣を異にするプロムナードのようなものが出来上がったものの、どうも全体的になんとなく“シマリ”がなイメージ 9いような気がしてならない。畑にいく度に横目で眺めていくうちに「ベランダ下の急傾斜との境目がぼやけているからかなー」と思い始める。
 
一方、3月に伐採してすっきりした「ローバーポート」南周りの傾斜地。畑や「健太ガレージ」「アグリ・ケビン」などが一望できる、我が家唯一のビューポイント。ここにテーブルなどを配して「展望台を作ろう」と思い至って、かれこれ3月。なかなか全体的な完成イメージが描けないまま(他のことに感けてちゃんと向き合ってないから仕方がないが・・)、時折、あーでもない、こーでもないと頭をよぎるばかり。そんな中で、ますます増長して「開墾や池づくりも一段落して、いよいよ念願の石窯作り(こちらは思いついてからもう⒑数年!!)イメージ 10に取り掛かろうと強く思うようになったのは3月末近く。本体づくりに大量に必要になる大谷石。10数年前に入手して積み上げてあるものだけでは到底足りないので、黒磯のA氏に「どこかにない?」と電話した翌30日には、「とにかく見に行こう」ということに。
 
那須塩原の「道の駅 明治の森」から12km湯本寄りイメージ 11の某工務店に。古い塀(あるいは蔵)を解体した大谷石の山。「無料で・・・」と言う言葉に続いて、「こちらの15本は1本千円(軽トラで運ぶと2台分)」と来た。形の整った1m超のものは喉から手出る程だったので、一応「全部で1万にして」と値切ったもイメージ 12のの結局言い値で買い取ることに。翌31日から4月2日まで3日間にわたって、軽トラで往復10数Kmを都合10往復。大量の大谷石を入手する。不揃いで凸凹の激しい(無料の)ものは丸太プロムナードとベランダ下急傾斜の境目に、そして、「展望台」にと少々欲張って運んだが、後日改めて3か所に積み上げたものを見ると、やはり「欲張り過ぎだった」と若干の後悔。
 
イメージ 13その後は苗作りや畑の耕運、播種や苗類の植え込みなどに追われる日々が続いた後、水漏れの激しい田んぼの対応に悶々の日々も続く。5月半ば過ぎに「このまま手を拱いてはいられない」と思い切って「(田んぼの)代掻き」をしてみると、な、何と、「これまでの水漏れは何だったのか」と驚くほど水持ちが良くなり、およそ1月の悶々の日々がなかったかの如く消え去り、ルンルン気分に心躍るほど。それに引き換え、一向に伸びない“赤米の苗”。とても田植えの出来る状態ではなイメージ 16い。仕方がないので、代掻きを終えた田んぼの中に育苗箱ごと並べ、大きくなるのを待つ。
 
そうこうしている内に畑やその周りは草だらけ。炎天下、シコシコと草取りを続け、やっと一通り終えたのは23日。怪しかった空模様は翌日から完全に雨模様になり、今日でイメージ 153日目になる(お蔭で、頼まれ原稿やブログ、あいさつ状などが片付いた)。折角取った草もまた息を吹き返してしまいそうだ。今年は晴れれば晴れたでカラカラに、雨が降り始めれば数日降り続く。メリハリがあるとも言えなくはないが、その雨のお蔭で、玄関前に蒔いた青大豆も青々としてきた。さーこれから取りあえず「展望台づくり」にでも取りかかろうか、などと思いつつ雨空を見上げる。


(連休明けの)13日に久方の終日雨が降り続き、本当に久しぶりに家に引きこもって“骨休め”。ところが、我がPCは、あたかも“真空管仕立て”の如く、グズグズの極み。若葉が茂り始めるとともにこの症状は徐々に悪化するが、(何故か)時としてメールや我がブログがスーッと開いたりする。いったい「何がどうなっているのか」は全く理解不能。とにかくも只管PCのご機嫌に合わせていくと、いつもならスラスラ?出てくる文章が全くまとまらないことも重なって、都合6時間を費やしてイメージ 3やっと1.5ヶ月振りの更新に至った時はもうヘトヘト。おまけにずっと座り続けていたので「尻が鈍く痛む」。それに何といっても体を動かしていないためか「ご飯が美味くない」ので、何とも“損した”気分。小降りの時間を掻い潜って、気の進まないコロを半ば無理やり引っ張り出し、何事があっても「キャンキャン」はしゃぐムサシとともに散歩に出ると、途中で降りこめられてズブ濡れになったり、とロクなことはない。
 
それに、これまでカンカン照りが続いた反動か、13日来6日間も降ったり止んだりのはっきりしない天気が続き、18日は朝から本降り。ここのところ、夕刻や朝方は肌寒く、大抵連休前に「冬眠ならぬ“夏眠?”に入る」ストーブに思わず火を入れたりするほど。歳とともに寒暖の差に適応しきれない場面にもしばしば遭遇する。
 
良い天気が続いても雨が降り続いても、どうにもすんなりとはいかない畑作り。「今年に限ったことではない」ことながら、気持ちの上では年を経る毎に重―くのしかかってくるような気がする。畑を開いて3年目に入ると、これまでにないことイメージ 1が目についたり、発生したりと、常に変化しているなかでのスリリングな生活が続く。
 
3月中旬からハウスでの苗作り、そして本格的に畑を耕し、道の駅などで入手した苗を植えたりする日々。冬を越した牛蒡を掘って整理していると10cm程残して完イメージ 2全にネズミに齧られている。驚くことに株分けしようと引き抜いたネギも根っ子から5cm程が食べ尽くされている。「こんなものまで齧るんだ」と野鼠の活躍?にただ驚くばかり。3月に入って折角実ったイチゴは熟れていく順に食べ尽くされ、悔しさよりも呆れかえってしまうばかり。一応、忌避剤や殺鼠剤を使ってみるものの、全く効果なく、「諦める」ことが日常化していく。
 
イメージ 4問題は「赤米」の育苗。昨年は蒔いた籾の半分以上を荒らされてしまったので、「どうしたものか」と悶々とイメージ 5する毎日。結局ハウス内にリンゴ箱を持ち込み、地面から30cm程の高さに「ネズミ返し」を設えて育苗箱を並べることぐらいしか思いつかない。近所ではもう青々と苗が育っているのを横目に「我が道を行くさ」と居直りながイメージ 6らやっと籾蒔きしたのは418日。今回は「種子消毒」に数日を費やしたとは言え「ホントは5月10日前後に田植えが出来るようにしなければならなかったのに・・・」と相変わらず後悔ばかりイメージ 9が身を包む。
 
朝晩の温度、水の管理を黙々と続けて、5月に入っても、なかなか大きくならず、先端部分や根元が茶色になってしまい、「肥料不足か」と大慌てて液体肥料を散布したりするものの全く復調の兆しがない。「週一東イメージ 10京」の際ネットで色々調べてみるものの、農家向けの難しい言葉や端的な表現ばかりで全く理解不能。かえって苛々するばかり。いつもの「なるようになるさ」の境地に至るまで悶々の日々。
 
陸稲(トヨハタモチ)は健太ガレージ前の「第二陸稲場」に苗場を仕立てて、ビニールトンネルで育苗しているが、こちらも全く同じ状態。「今年は赤米も陸稲も無理かもしれない」と何日も心穏やかならずの日々が続いた後、「仕方ないかー」と思い直して何とか気が治まったのは5月も15日過ぎ。4月末頃から(連休に入るとともに)イメージ 7「田んぼ」を開き始める。「2年目なので、水漏れも相当に治まっているはず」と高を括っていたが、何と昨年以上の漏れに大慌て。畔板を据え直したり、田の周りに土を運んで突き固めたりするが、全く功を奏しない。
 
何よりも困っているのが「水」。何故か連休に入るな否や自然流の流れが滞り、気が付くと流れが止まったりイメージ 11していて、池の水が半減してしまう程(やっと排水対策が終わったのに)。52日の朝、「今日はカエルが鳴かないなー」と池に行ってみると、どこから来たのかヘビたちがウロウロ。ペアで絡み合っているシマヘビや悠然と池の縁で日向ぼっこするヤマカガシなど都合4匹を網で掬い取って、約100m南の隣地に「敷地内ところ払い」の刑に処した。これが祟ったのか翌日から水がビタリと止まってしまい、水中ポンプで流れを復活させるものの、翌朝にはまた止まっている。
 
エンジンポンプで田に水を張っても半日もすると干上がってしまう。昨年同様に自然流のポリパイに水中ポンプを直結してみるものの、水漏れの速さに対応しきれない状態。「もう一本ポリパイを敷こうか」と思ったりするものの、自然流が期待イメージ 8できそうもなく、「水中ポンプをもう一台調達して・・・」いやいや「雨でも降って川の水位が上がれば大丈夫かもしれない」などと思ったり、未だに悶々。「6月初めには田植えができるように苗も水も何とかなってほしい」と祈るばかり。
 
雨が続いて、木々草木は勢いづき、日々緑が深まっていく中、チンチクリンのままグズグズしている苗を横目に雑草取りに追われているこのごろ。2年目の芝桜(植えた時の数倍に広がった)が終盤になり、ツツジが満開の中で「試験栽培」と称して播種した青大豆が薄っすらと筋を描いている。今年の田畑は問題山積。いくらジタバタしても自然の流れに逆らえるはずもなく、只管「受け入れて心平らかに」を目指す。それにしてもそろそろすっきりとした晴れ間がほしい。

毎年のことながら、ゴールデンウィークを過ぎるまではカラカラ天気の那須。この時期、畑作業はピークで堆肥や肥料を撒きロータリー掛け。そして畝立てなどの後、いろいろな野菜を播種、定植するものの水不足で気を揉むばかりの日々。今日13日になってやっと本格的な雨が降り、久方に家に籠っての骨休めといったところ。3月下旬以来気になりつつも、ブログの更新もストップしたまま(一応、毎朝チェックはしてみるもののも相変わらずの“3G/真空管”でメールも開き切れない時さえある)。「あれもこれも」と思いつつPCに向かってはみるが気が急いてイライラするばかり。
 
晴れ間が続き、時には初夏を超える暑さの中、ビニールハウスで育苗していたトイメージ 1マトやトウモロコシがどんどん大きくなって定植の時期になっていくのを横目に、「何をどこに植え、何を蒔くか」で散々迷う。昨年初冬に蒔いた「麦」はドンドンと大きくなってきて心躍るものの、昨年までよりもその分だけ作付けする面積が減っているので、今までのように、ガンガンと蒔いたり、植えたりできなくなった(そもそも「これまで“作り過ぎ”の野菜をセーブして穀類に転換したい」と言うことたったので、狙い通りとも言えるが・・・)
 
イメージ 2その上、最も悩ましいのは「連作を避ける」こと。ジャガイモ、トマト・茄子、里芋などをどこにどのくらい・・と考え始めるとあっと言う間に時間が過ぎ去っていく。何よりも、麦があるだけで位置感覚が大きくブレてしまい、「昨年は(そこに)何を植えたか」の境界が判然としない。麦のなかった昨年でさえも色々腐心しつつも結果として部分的ながら連作となってしまった(そのトマトや茄子の出来栄えは最悪!)ので、「今年は・・・」と慎重になることも重なって、ウロウロするばかり。
 
イメージ 3「もう待てない」と思うほど成長してしまったトウモロコシを何とかしなくてはと、トウモロコシのこと“のみ”について、日当たりや獣からの防衛策を併せつつ、「エイや」とばかリ2か所に分けてマルチング畝を仕立てて定植する。そうなるとまたまた選択の余地が狭まり、息苦しい程の悩ましさに陥る。何とか事態を脱却するために、取りあえず、それほど連作を“考えなくても良い”長芋、アピオス、コンニャク、ヤーコンなどを昨年同様に植え付け、カボチャやスイカなどの棚づくりを終えると何となく「諦めが付いた」感じになり、これまた「エイや」とばかり大阪から取り寄せてあった、トマト(大・中・ミニの3)や茄子(丸、長茄子の2)、唐辛子(万願寺など2)、ピーマン(レッドパプリカなど2)、キュウリなど(自家育苗より早く収穫可能)の苗を植え付ける(因みにハウスで自家育苗しているのは中玉トマト(7日に定植)、ピーマン・パプリカ、長・中茄子、キュウリ、スイカ、カボチャなどで、これらはこれから6月にかけて順次定植していくことになる)。ほっとして、冷静?に考えると「これで大丈夫かもしれない」と強く思うようになった(自らに言い聞かせたかも)、あるいは「なるようになるさ」と諦めが付いたようだ。
 
振り返れば、4月の初め頃、すっきりしない天気が続く中、「早く堆肥を運んでイメージ 4畑の準備をしなくては・・」と思いながら3カ月振りの「週一東京」から張り切って戻った翌日(11)は雨に降り込められたような一日。折悪しく「健太4号」が3月31日に入院した翌日、発注して3週間を過ぎたので催促した“堆肥”がやっと届き、何とかしたいと気ばかり焦るものの47日に退院してくるまで悶々の日々が続いた。
 
「堆肥」を巡っては、池周りの排水対策として“暗渠”を作り、池の排水管を敷設したが、それらの工事前は池の西淵に沿う通路(幅約3m)はグチャグチャ(天気が良い日が続いたのに)。そのため、ここ2年程堆肥を降ろしてもらっていたところ(健太ガレージ斜め前)3.5t積みの堆肥車が入れない状態。どう考えても大量の堆肥を置けるところには堆肥車が入れず、「どこか別の場所に・・・」と悶々する日々が続いていた。
 
これまで、思いつくままに家から近いところから、花壇や畑、それに付随する通路(軽トラなどが通れる2mくらい)を作ってしまったため、南雑木林周りには有り余るほどの空間があるのに(大型)トラックが入れず手も足も出ない。我が家の玄関前からローバーポートの東側に隣接する広大な原野(隣家2軒の所有地)が「何とかなイメージ 5らないかなー」と思っていたところ、たまたまやって来た玄関前の土地所有者(Z)に「大豆の試験栽培をしたいが・・」ということで頼んでみると、少々渋々ながらも所有地のほんの一部(30)を借りられることに。
 
4号」で伐根や倒木の整理をして、堆肥車の入り口も設えてやっと堆肥置き場を確保。3月の初めに発注したものの、「今、最盛期だから2~3週間待って・・」とのこと。何とか排水工事が終って、健太ガレージ前も23日晴れれば堆肥車が自在に入り込めるようになったものの、作業小屋などに使おうと積み上げてある杉丸太の皮剥きや寸法出し、さらに運び出しなども考えると充分なスペースを確保したいので、堆肥は何とか別のところに置いた方が・・・と思い直していたところだったので、真に“渡りに舟”となった。
 イメージ 7
昨年まで大豆は健太ガレージの脇近くに蒔いたが、日当たり不足か、はたまた密植し過ぎためか草丈ばかりが伸びてしまい、まともな収穫には程遠かったので、「何か打開策はないか」と思っていたところだったので咄嗟に「大豆の試験栽培」を思いついたもの。Z氏は、近所でも相応な付き合いを・・が合言葉になっている人なので、単純に「畑にするから貸してほしい」などと言っても「こんなに広い敷地があるじゃないか」と歯牙にもかけてくれないことが火を見るよりも明らか。こんな状況も手伝って、半分思い付き、半分本気の口説き文句が出たらしい(我ながら感心している)
 
イメージ 6たった30坪ほどだが、麦の栽培などで蒔く場所を無くした()大豆も「堆肥を片づけた跡地」を中心に“試験栽培”と称して作付け可能となった。「こんな広さを貸したつもりはない」などと言われないように、荒起こしした際に掘り出した半腐れの丸太で四方イメージ 8を囲んだ立派な?畑が玄関前に出来上がった。ここに、真に試験播種したのが黒、白、青(それぞれ30余粒)などの“枝豆”。ところがカラカラ天気の続く中で全く顔を出さず、やっと顔を見せたのは播種から3週目に入った連休最終日(7日)。
 
気を良くして、いよいよ本命の青大豆を残り全体にイメージ 9(土がカラカラなので一晩水に浸しておいたものを)播く。防鳥網を張り、毎日眺めているが、1週間経ようとしている今日は雨。きっと明日にはぷっくりと芽を出すことだろうと期待ばかりが膨らんでいく。
 
イメージ 10今年は、自生している「ヤマツツジ」が見事に咲き、買い求めてきて植えたツツジやサツキなども競うように色どり豊かな花を開いている。自生しているヤマツツジの中には、ここ10数年来、咲くことがなかったような木々(日陰気味なところの)も新イメージ 11緑の中にピンク色を散りばめている。「オーレンソウ」に始まる川沿いの春の花の定番である「カタクリ」「イチゲ」の後を受けて、昨年入手して植えた「黄色の(2段咲き)カタクリ」が見事に咲いた他、昨年7月に富士吉田近郊の旧友が送ってくれた「クマガイソウ」が個性的な花を開いた(6株中4株が咲いた)。今年の晩春は「花いっぱい」。

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