今年の(那須の)「梅雨」は完全に“空梅雨”。水源たる川の水も実に頼りない流れになってしまい、「自然流水」も毎日チェックしつつ、週に一度はポンプで水量を回復させ、吸い口をあれこれと移動させて最も吸い込みの良いと目される位置に据え直す。突然の雷雨があっても川の水量に及ぶほどの降りにはならず、シトシト降り続いても安定した水位の維持には程遠い状態。
 
イメージ 1毎朝コロ達の散歩が終わったその足で田んぼの水を確認しながら、池の鯉や金魚に餌をやる。随分慣れてきて、我が影を見ると?列をなして集まって来る。微かに光る魚影や素早く餌を食べた時の波と音以外、その姿を見ることは極めて少ないが無数の黒色の「黒魚??」が水中を跳ね回るように餌を漁っているようだ。まだ作り掛けだった池に少なくとも100数十匹放った「小赤」の中に混じっていた(フナに近い・)黒いもの(数匹)が繁殖したらしい。当初は「黒いのも良い」などと甘い考えでいたが、今となっては後悔する程。
 
池に引き入れている水の流れ具合も確認するのも日課となっているが、池も田も“ありがたくも、ほぼ自然流水で確保できている”。全国各地で“(線状降水帯にイメージ 2よる)記録的な大雨あるいは豪雨”で甚大な被害や避難勧告も相次いでいる中で、水不足を嘆くどころか、「このくらいで済むなら」と安堵すること頻り。
 
530日、昨年より半月遅れで植えたチンチイメージ 3クリン苗。水面にやっと顔をのぞかせた余りにも頼りない赤米も1カ月半を過ぎて、340cmにまで成長した。「今年はダメかもしれない・・」と一度ならず覚悟したものの、今度は「倒伏せずにタワワに実ってほしい」と切に思うようになった。それに「陸稲」の方も、頼りなかったものがそれなりに頼もしくなっている。
 
雑木林の土を運び入れて新たに設えた「第二陸稲場」は3年目に入り、山林に生える草から堆肥に混じっていた、明らかに“畑に生える草”に入れ替わったばかりイメージ 4か、これの成長が極めて著しく、「取っても取っても・・・」(気が付くと)これらの草が蔓延っている。
 
陸稲場の草取りをしながら、何時までも青々としている「麦」にやきもき。そもそも「6月中旬ころまでに麦を刈り取り、その後に“陸稲”を植えて・・・」と二毛作をイメージしていたが、麦の成熟が意外に遅く、結局、一月以上の間「麦と陸稲」が並ぶ結果となってしまった。何よりも困ったことは「小麦」が次々に倒伏してしまい、それもまだ青々としていること。「早く刈り取りしたいのに、まだか、まだか」の日々の中で、「刈った麦を干す場所はどうしようか」と思い始める。梅雨は「麦雨」とも称されるが、刈り取ったものは少なくとも1週間くらいは日に当てたいところながら全くの望み薄。稲や陸稲のように“ハゼ掛け”しても「乾くどころかかえって湿ってしまって逆効果かもしれない」ということで、麦の茎が茶色に染まるまでの間に、「何とか干し場を設えよう」などと思い立ってしまう。
 
以前から、アグリ・ケビン周りのデット・スペースに農具やら当面使わない資材などをいれておく小屋を作りたいと思っていたこともあり、何やかや思いをめぐらしているうちに、「麦を干し終えたら鍬などの農具を一括して収納できるようにしよイメージ 5う」などと欲張り始める。「干し場」なので、1日のうち1時間なりとも日が当たる場所となるとビニールハウスとの間1か所しかない。
 
ここにはニラやスイカ、スナップエンドウなどを作っているが、アグリケビンの南端との間には幅4.5m、川側2.5m、東側1.5m程の三角地が空いている。「よーし、ここに作ろう」ということで、 3角形に近い形をどう作るか”考えるものの、何せ小屋づくり自体が生まれて初めてのこととて、なイメージ 6かなか妙案もない。モタモタしては居られないので、とにかく礎石(以前貰ってきたフェンス用の沓石)をまずは1m×4mの長方形に設える。棒状の水平器を使ってはいるがそうそう上手く行くものでもなく「適当!!」に。
 
さらに川側の幅が2m程になる位置にもう一つ沓石を置いて(変形の)三角形にする。「何事も挑戦!! 人生は挑戦の連続なんだから」などと言い聞かせつつ、一昨年冬に切り出して辺りに雑然と積み上げてあった杉丸太の中から“柱用”として直径145cmのものを選び出して来て立ててみる(柱と言ってもその太さは根元側と梢側では2:1程も違うものばかり)。その上に4m余の丸太3本を取り付け、辺イメージ 7りに転がっている細めの丸太(柱にしたものの梢部分など)6本渡して、やっと骨組みが出来上がるのに、都合5日もかかってしまった。
 
気になっている麦は相変わらず茎部分を中心に青々としているばかりか、雨の度にドンドン倒伏して、ついにはイメージ 8恰も畳を敷いたような状態になってしまう。気ばかり焦ってもどうにもならず、とにかく干し場小屋を作ろうと波トタンなどを調達して屋根を葺く。さらに4mの雨樋を取り付けて目出度く小屋掛けが終了する。ところがその夜大雨が降り、アグリケビンと小屋の隙間から雨水が漏れ落ちることにやっイメージ 9と気づき、慌ててコーキング材(2)など調達して、「完成(6月23日)」するまでに都合で8日間を要してしまった。
 
 数日後、“ベッタリ”と倒れてしまった小麦を刈り始める。既にネズミなどにやられていたり、中には黴が生えているものさえ散見される。延べ2日間、刈って小束にしているうちに、「とても、干し場小屋に干しきれるものではない」ことに改めて気づき、取り急ぎ、陸稲同様にハゼ掛けにする。倒れていたためジットリと濡れてイメージ 10いるので、果たして少しでも乾燥するか否か覚束ないものの、括っては運んで掛ける。
 
翌日、トマトの南側の4作の小麦を刈る。こちらは比イメージ 11較的倒伏していないので、あきらかに実入りが違いズシリとまではいかずともそれなりの重さが心を躍らせる。小束にしたものを10数束ずつ担ぎ、干し場小屋に運んでハゼ掛けにする。なんと干し場小屋はこの4サク分で、ほぼいっぱいになってしまう。これでは小麦などの干し場とイメージ 12しては「あまりに小さすぎた」(まあ、農具小屋として、また草花や野菜の陰干しには使え.るが・・)
 
雨が降ったり、週一東京などで数日過ぎたが、“青々イメージ 13さ”がいつまでも続いている大麦を思い切って刈り取る。梅雨時ながら2日間程晴れ間が続いて比較的乾いているので、小束にしたまま畑に積み上げて置き、翌日脱穀機に掛ける。倒伏など考えようもないほど(小麦と較べて)背丈も半分以下。実入りも誠に頼イメージ 14りないものの、脱穀してみると「30kg米袋」に軽く2袋。概ね40kg収穫。その足でハゼ掛けした小麦を脱穀すイメージ 15る(7月8日)。倒伏したものはそうでなかったものと較べて半分程度の収穫。都合3袋半で60kg程の大収穫(ビギナーズラックかもしれない)? 製粉機を入手するなり、物置に転がっている石臼を復活させれば(ほぼ絶望的)、密かに夢見ていた「“自粉”で手打ちうどん」が実現しそうだ。
 
小麦も大麦も其々1kgの種を蒔いたのにこの違いは一体何なのかと不思議でならない。陽当たり、堆肥などの肥料、土の違いなど色々思い浮かべるものの、やはり「地力」の違い(土壌自体の性能)としか考えられない。そういえば大麦のところはこれまで何を作ってもチンチクリンでモノにならなかったことを思い出す。堆肥などの肥料も他より多めに鋤き込んでいるが、赤土交じりで水捌けももう一歩なのかもしれない。
 
小麦の後は、“倒伏するということは「カリ分」が多すぎるかもしれない”ということでいずれも全く撒かずに耕し(7月9日)、ハウスで伸び放題になっていた茄子やピーマンイメージ 16を植え、さらに、「播種時期を逸している」大豆やピーナッツを「ダメ元」で蒔く。
 
一方、大麦を刈ったあとには(脱穀して残った)麦ワラの他、肥料もたっぷり撒き、ロータリー掛けをしておいたものの、「地力が弱いところ」なので、肥料のいらない“()蕎麦”を蒔いたらどうだろうか?と思いつく。麦に続いてこれも初挑戦となるものの、ひょっとすると「肥料過多で実が付かないかもしれない」のでこちらも「ダメ元」となる。
 
小屋づくりや麦刈り、脱穀などに感けているうちに畑は「草茫々」。都合3日間は陸稲など畑の中の草取りに没頭。午後になると俄かに掻き曇り、雨が降ったり蒸し蒸したりと気が滅入るような日々。その間にさらに茫々になった花壇や通路の草取り&草刈りに取り掛かろうとしたところで「梅雨明け」。ところが、『梅雨明け10日』とは程遠く、ここ数日どんよりと曇り、今日(7月25日)は一日中小雨もぱらつき、「那須はまだ梅雨明けしていない」のかと思うほど。