nasukentaのblog

2018年08月

 途轍もなく蒸し暑い日が23日続くこの頃。ところが大気不安定で、短時間ながら突然土砂降りになったり、日差しとともに雨が降ったりと、どうも落ち着かない。相変わらず、動き出して5分もすると、下着までズブ濡れになってしまう程の大汗。たまらずイメージ 1着替えても瞬く間にびっしょり。その上に突然の雨で、“中からも外からも”濡れる。8月の中旬には34日に一度くらいの割合で、最高気温が20℃前後にまでなる。30℃超にウンザリしていたので、「今日は涼しくていいなー」などと慢心していると、その薄ら寒さに驚くことも・・・・。
 
8月も後4日。2018年も3分の2が過ぎ去ってしまうと思うと、何処となく落ち着かず「時の流れの速さイメージ 2に」心穏やかならず。そうすると「そうだ。あれも、これも何とかしなくては・・」などと急に多忙感に包まれてしまう。昨日は16時過ぎから突然の豪雨であっという間に道路が川に変貌。暫くすると激しい雨とギラギラ陽射しが同時進行する。昔「狐の嫁入り」とか言っていた、一瞬時が止まったかのような錯覚に陥る。雨が止んでいた夕方の散歩時は思い切り“蒸し暑く”、コロは出掛けて3分もしないうちに「散歩拒否」。スタスタと家に戻り始めてしまう。浮かれまくっているムサシはキョトンとしながらコロに従っている。一旦戻ってムサシだけ連れて出かけると、近所の人が「今日は1匹・・」などと声をかけてくる。家に戻って暫くするとまたまたザンザン降り。今朝の散歩(530分頃から620)時も何とか雨は止んでいたが、その後またまた土砂降り。一旦雨が降り始めると暫く愚図ついて、気が滅入るほど。
 
昨日はここのところのお湿りで成長著しいキウイや花梨、花壇脇の柘植やアジイメージ 3サイ、ツツジなどの刈り込み、それにカボチャ棚下の草取りなどで一日が終わってしまった。昼過ぎ、汗で「全身ずぶ濡れ」の状態に耐え切れず、着替えに戻る途中、「赤米の異変?」に気づく。目を凝らしてみると茶色がかった“穂”が出ている。昨年から「もう少し色の濃い赤米を・・・」と、これまでの「夕やけもち」から「紅染めもち」に品種を変えたが、昨年は育苗が思うに任せず、田植えも530日になってしまった。それに雨続きの低温傾イメージ 4向もあって(ヤキモキの毎日)、やっと穂が出たのは910日過ぎ。その後一向に成熟せず、11月中旬に無理やり脱穀したものの、とても食べられるような粒にはなっていなかった(色は驚くほど濃かったが・・)。今年は52日には田植えをして、「7月末には出穂した陸稲」を横目に「まだかなー」とまたまたヤキモキ。改めてネットで出穂時期を確認すると一カ月違う(前者が8月初め、後者は9月初め)ことを知り、「そのうち出るさ」と思っていたが、予想より1週間程早く出穂。これで上手く成熟してくれれば、念願の「(“色の濃い”)赤米」が那須でも栽培できるということになるが・・・。随分気を良くしつつ、家に戻って来たものの、今度は、この7月初めにピザを焼いて以来ご無沙汰している「石窯」が目に入り、「そう言えばあれ以来火も焚いていないなー」と溜息が出る。石窯作りも那須に居を構えて以来の“夢”。早々に調達した「大谷石」も苔生してしまっていた。
 
(夢の)アトリエ」づくりで余った(余らした?)丸太を無理矢理使って、まずはイメージ 5「カーポート兼BBQ小屋」を作り始めたのは3月初め(その「西側に隣接したところに石窯を作ろう」との目算)。以前から「駐車&BBQスペース」として使っていイメージ 6たところに4m×4m程の小屋掛けをする。アトリエ作りで培った?ノウハウをフルに活かして、基礎作り1日半(大きな石が埋まっていて苦戦を強いられてしまった)、柱などの加工・運搬に半日。屋根掛け2日弱の都合4日間で格好(これから色々造作していくつもりなので、柱8本に屋根を葺いただけのものだが・・)にする。
イメージ 7 
その後、畑仕事などに感けて、なかなか手を付けられずにいたが、5月末(29)にやっと石窯作りに着手。小屋の西側に、大き目の石を運び、砂利と路盤材で基礎部イメージ 8分を設え、脇に積み上げてあった大谷石で、幅90cm、奥行き120cmに組み上げていく。最初の2段目(高さ60cm)まではあっと言う間に出来たものの、その後、「上部の半円状の部分(焼き窯部分)をどうつくるか」で悶々とする日々が続く。その間、畑の草取りやら、展望台下の石垣積みなどと並行しながら思い悩みが続く。現有の石をイメージ 9加工せずにそのまま積んでいこうということに“拘り過ぎているんだ”と思い直し、早速入手した「石材用のカッター(ディスクグラインダー用))」を使って大谷石をカットし始めると急に作業が進み始める。
 
ところが、今度は「投入口」の扉を巡って、またまた悶々。辺りに転がっていた古―い「量水器の蓋」を取りイメージ 10付けられないか、と思いついてから、さらにその付け方をイメージするのに三度悶々。「4隅の突起部分を切り落とし、耐火煉瓦に挟み込むようにして固定する」という結論に達するのに1週間もの時間が流れていた。とりあえず“仮組”してみると、これが意外に「カッコイイ!!」。さー、一旦崩して、耐火モルタルで固めながら本組しようと言う段になって、縦30cm、横15cm、長さ90cmを中心とする大谷石を積み上げた際の悪戦苦闘を思い出してしまい、「何とかこのまま仕上げられないか」と、また悶々。
 
石の繋部分に耐火モルタルを詰め込むようにしながら「隙間」を埋めつつ、さらに、表面にはコンクリートモルタルを塗って、何はともあれ仕上げていく。ここでイメージ 11「煙突はどうする」とまたまた悩み始めてしまう。とにかく「“石ノミ”でコツコツと直径10cm余の穴を掘り始める(23日かかるかもしれないと思いながら)」。3分の1程まで進んだところで、何と石が「バカーン」と割れてしまう。こうなれば・・と「石・コンクリート用の研磨砥石」も動員して何とか穴を掘る終える。「初めから2つの石を半円状に削れば造作なかったのに・・」と遅ればせながら気づく始末。ともあれ、何とか曲がり煙突を取り付け、耐火モルタルで固定イメージ 12し終えたのは71日。
 
モルタル類が完全に乾くまで「1週間くらいかな」とぼんやり思っていたが、2日後には雨が降り、しっかりと水を吸い込んでしまった。「こうなったら火を焚いて乾かそう」と、目出度く?“火入れ式”。小量ながら、あちらこちらから煙が漏れてしまっているが、何とか“炉内”の温度が上がっていくのを確認。翌日再度耐火モルタルなどを調達して、これらの穴を塞ぎながら、ふと、「焚口や煙突などの大きな“開いた部分”があるのに、こんな小さな穴などに拘泥しても仕方ないのではないか」などと思い始める。それでも「(煙が)漏れるより漏れない方が良いに決まっている」ということで、都合で丸一日、隙間埋め、上塗りなどに費やす。
 
そして、スーパーから「半額割引」となっていたピサを買って来て、半日近く火を焚いて温め続けた炉に投入したのは76日。前の晩にまたまた雨が降ってしまっイメージ 13たためか、なかなか思う温度(300℃くらい)には届かず、結局“生焼け”。最後はレンジでチンして食べてみたが、「こんなに“不味い”ものか」と驚くばかり。それに手作りした「ピール(ピザを載せて炉内に出し入れする道具)」も全く思い通りの使い勝手でないことに、我ながら情けなくなる程。
 
翌日、リベンジすべく、朝早くから火を焚き、十分に温度が上った12時前、直径45cmの「大ピザ」を半分ずつ(入り口が小さいので)焼いて、(数名の客人ともども)頬張る。何とか思い通りに焼け、しかも抜群の味。やっと叶った夢の瞬間に歓喜しつつ、「あとは石窯部分の屋根掛け、それに煙イメージ 14突だな」と、もう次の課題で頭の中が一杯になる。
 
ジャガイモや麦の収穫などを挟んで、残材を組み合わせて石窯用の屋根を増設(丸一日)したのは721日。さらに知人から貰い受けた「使い古しの煙突」を取り付け、ステンレスイメージ 15板で「ピール」も作り直して、「石窯関連」が全て完了したのは89であった。なんと5ヶ月余も掛かった石窯づくり。まあー、生まれて初めての“石材加工・組み立て”、さらに煙突付け。戸惑い、立ち止まり、悶々としながらも出来上がってしまうと、何となく興味が薄れかけている自分に呆れかえっている。「雨が止んだら、ピサを焼いたり、シチュウなどの煮込み料理でも作ろうかな」などとボンヤリ考えつつ、庭木などの刈り込み作業に戻る。さーて、三度「火を入れる」のは何時になるか・・・・。それにしても『「夢」は諦めなければ必ず叶うもの』だとつくづく思う。

「立秋」とは良く言ったもので(たまたまかもしれないが・・)その日を境に、特に夜は嘘のように凌ぎ易い。急に気温が下がった時、どうにも体がついていけず、冬物衣料を物色することもしばしば。コロ達との朝晩の散歩時には「虫の音」を聞きながら歩くことが多くなった。雨が少なかったため、雑草類も相応に“伸び悩み”をみせているらしいと思っていたものの、どっこい、自然はそうは甘くなイメージ 1い。カラカラの土の中からニョキニョキと出てきても瞬く間に30cmを超えていく。
 
陸稲場などの畑の草はほぼ2週間で元の状態に戻ってしまうが、雨が降ると10日前後までに早まる。「やってもやっても・・」の状態が加速されていくのが通例だったイメージ 2が、今年から「土寄せ」をすることを思いつき、大豆や陸稲などは草取りの後、軽く土寄せをしておいてみたところ、効果覿面。ほんの少しでも土を動かしておくと随分草が抑えられることを改めて確認したところ。
 
土寄せや掻き回しの出来ない通路などは、相変らず10日程の期間で元の木阿弥になるため、頻繁に草刈りを繰り返す。比較的疎らに草の生えているところや石、枝木やなどの障害物のある通路、雑木林などは「ナイロンカッター」が仕上がりも綺麗でしかも効率的。大分凌ぎ易くなったとは言え、日中は当たり前のように30℃を超え、ジリジリ照りつける日当たりでの作業は5分も続かない。何時しか日陰に逃げ込んでしまうものの、噴き出した汗が急激に冷え、動いていないと薄ら寒さを覚えるほど。
 
イメージ 3ここ一週間程は、秋採り野菜の播種に追われる。白菜や大根などに加えて、野沢菜や高菜と言った漬物用、さらに、水菜やチンゲンサイなども一気に蒔く。白菜やキャベツ、ブロッコリー、コールラビなどは苗床や箱蒔きなどにする。34日もすると双葉から本葉も覗くようになる。天候にもよるが播種から概ね2週間程で定植する頃合いになる。このため、これらの苗を植える畝なども仕立てていく。昨年始めて挑戦した「ビーツ」。播種イメージ 4時期が大幅に遅れたため、十数個のみ3cmほどまでになったものの、殆どモノにならなかった。今年こそはと思いながら、種袋を確かめると「寒冷地は7月末くらいまで」となっている(これまで「暖地での播種時期」より少し早目に・・と思い込んでいた)。「もう遅すぎるかなー」と思いながらも真っ先に蒔いておく(またまたモノにならないかなー)
 
その日その日毎に「ここまではやり終えよう」との目算に向かって、workrestを小まめに繰り返しつつ、時には躍起になって作業を進め、一畝ごとに「アトリエ」に逃げ込む。このアトリエ、今年17日から建てはじめ2月末には何とか思うイメージ 5ような形にまでなった。長年の夢でもあった丸太小屋も「アトリエとして使おう」と思い立ってからはドンドンと事が進み始めた。と言っても思い返せば、材料となる杉丸太の伐採・調達から2年余を要したことになる。玄関前の(隣地の)杉十数本を伐採し、健太ガレージ前まで運び、知人から譲り受けた50本余とともに積み上げてから1年余を過ぎた昨年夏ごろから少しずつ皮を剥きはじイメージ 6め、12月末ごろまでかけて何とかめぼしいものを剥き終える。それと前後して、「(地面が凍らないうちに・・)基礎石を並べる。何となく切りのいい“4m×8m”とすべく、何度も巻尺で確認を繰り返しつつ、また、4隅の直角を出すのにも四苦八苦。「直角三角形」をイメージしながらも全く思うに任せず、最後は“勘”に頼ることに。例によってバケツの水とホースで水平を出したとは言え、結局「大体この辺りだろう」で決めていく。礎石は使い慣れた?フェンス用(高さ45cm)のものを埋め込む簡易方イメージ 7式。
 
材料の切り出しを始めようと言う段になって、一番時間を要したのは、根元の直径が123cmから50cmと多様な太さ、さらに梢に向かって漸減していく直径も長さも千差万別の丸太をひっくり返しながら選り出す作業。年明け前後から時折降る雪(精々10cm程だが)、それが凍り付いて1本動かすのも容易ではない。時折「健太4号」で一気に突き崩したり移動したりもしながら、まずはメインの柱とすべく丸太(12)を選り出す。次の難問は屋根の傾斜。最も簡易に作業が進められる、柱の長さで傾斜が決まる方式に拘泥するあまり、悶々とすること34日。色々計算したりしたものの、どうにも決断できず、最後は「なるようになるさ」とばかり、真ん中2.5m、両サイド2.0m、その間2.3m.。これに基礎部分に差し込む分として、それぞイメージ 830cmを足して切り揃える。<
 
さらに基礎石の10cm四方の穴に合わせて、根元部分を30cm程の長さに切り揃えていく。当初、「鋸とノミ」でコツコツ始めたものの、「間尺に合わない」ということで木口に指金で“一辺10cmの正方形をけがいた”後、チエンソーで切り揃えてしまう。そしていよいよ柱を立てる段になって、どうしてもすっぽりと入らない。そう言えば、と確認してみると礎石の穴は、上部は10cm四方だが下部は8cm四方。仕方なく1本1本切り込みをし直しながら12本の柱を立て終えるのに3日も掛イメージ 9かってしまう。そこに(根元の)太さ18cm前後、長さ4.4mの丸太5本を東西(畑側の正面から川側の裏面)に載せる。これもなかなかの難題で、柱に当たる部分の太さを確認しつつ、水平に渡せるように切り込みを入れ、脚立イメージ 102本を駆使して慎重にかつ大胆に進める。
 
ここまでくると、「家のよイメージ 11うなもの」に見え始めてくる。勢いづいて、渡した横木に軒に向けて、長さ4.2m物、計10本を乗せていく。慎重に一つ一つの作業を進めていったものの、脚立の足元が柔らかいところだったために最上部に立ち上がった瞬間にひっくり返って仕舞い、倒れた脚立に後頭部を強打。一瞬気を失っていたが、何とか起き上がってみると鼻水がドドーと出てきてしまい、「倒れてしまったら、このまま逝ってしまうイメージ 12!!」と気合いで乗り切る。一人暮らしの一人作業は、こんなこととも背中合わせであることを改めて痛感しつつ、暫し呆然。家の格好になると後はトタン板を打ち付けるための幅10cm余、厚さ1.2cm程の板材を適当に打ち付け、屋根を葺く。「明り取り」をどこにするかも結構悩む。というのも、(その時点では)屋内の真ん中付近に“炉”を設えようと思っていたので、「塩ビ波板」が熱で変形しないような位置をあれこれ模索するも、用意した波トタンの尺に規定されてしまうため、これまた最後は「エイヤ」。
 
イメージ 13西側(川側)から葺き始め、やっと半分まで葺き終えた夜に雪が降り、一時作業が中断したが、強引に雪を除けながら屋根全体を葺き終えると、思い悩んだ「屋根の傾斜」もイメージ通りで、その出来栄えにすっかり悦に入る。こうなれば、天気にかかわりなく作業が出来ると気が入る。柱と柱の間に後付けながら、コンクリートブロックイメージ 14で基礎部分を作り、15cm以上の太さの丸太を1本1本「電動斫り機」で上下を削り、柱と柱の間に土台を回した後、適当な太さのものを次々に運び込んで、上下を斫りつつ積み上げていく(1日12~3本がやっと)。畑側4か所に10余本ずつ積み上げてみると、「到底、壁全体を積み上げるほどの“丸太はない”」ことに、改めて気づき、「さーて如何したものか」と思いを巡らす。結局、延べ12か所のうちの8イメージ 15所のみに丸太を1.2m程の高さに積み上げ、2か所はベニヤ板などで埋め。残り2か所は出入り口を設えることイメージ 16に。
 
ベニヤ板を貼ったところには、「これまで集めたり、貰ったりした各種道具類を飾るようにしよう」と思い付イメージ 17き、薪割用の斧類、板挽き用の大鋸、「“指物”づくりの小道具類(50)」などを並べる。さらにその両サイドを中心に「木イメージ 18のリンゴ箱」を5段積みした工具棚を一気に作り上げる。電動工具や道具類が並んだ壁を背に悦に入りつつ、「そうだ作業台を作ろう」ということで、都合3台を作り上げて据え付ける。こうなれば、更に勢い付いて、10数年前に地元の工務店からイメージ 19貰ってきたドアを3日掛かりイメージ 20で取り付る。さらに、反対()側に1.8.m幅の“吊り戸”を作って何とか出入り口まで仕上げ終える。
 
「俺って意外にやる・・・な」と自惚れ始めた頃、郵便屋さんなどを除いて殆ど他人など来ない我が家に呼びもしないのに34人も見物人が現れ、「こんなに道具を並べて、泥棒にやられるぞ(不動産屋ST)」とのご忠告。いろいろ考えあぐねたものの、「泥棒が入れないようにする」までの造作は到底無理なので、とにかく「泥棒が“入り辛く”する」べく、空いている窓部分に板や木の枝などを適当に打ち付け、表側には金網を貼る。まるで「鳥小屋みたいだなー」と思いつつ、ドアには適当な鍵を付けて、さらに「atelier kenta」の看板を掲げて一応完成の運びになった。因みに床面は「atelier」の元々の意味である「木屑などが堆積した場所」ということで、土間に木屑を敷き詰める(これが実に歩きやすく、感触も気に入っている)。以後、ここで、木工、鉄工その他、思いつくままに色々作る場となった他、畑作業の合間の休憩や、雨宿り場、そイメージ 21して作業場として等、ここで過ごす時間がドンドン増えていく。
 
その後、自己流ながら電気配線などもして、エンジン発電機による照明(工場用ライト @1000+送料)をつけたり、かつて集めたオイルランプを配したりと、それらしい雰囲気づくりに時間を費やす。丸太を積み上げた部分は、(積み上げ時)丸太自体が凍っていたり、湿気を含んでズッシリと重かったものはドンドン乾燥して隙間を作る(ログハウスなどでもセトリングが欠かせないように)。それが日毎に目立ち始めてしまったものの、何があっても“我が城”で「この隙間だらけがたまらない“味”」となっている。それに「木屑の匂い」が充満していて、これが心を平らかにしてくれる。
「何事も、“やれば出来る”」。「為せば成る。成らぬは人の為さぬなり」を体で覚えたアトリエ作り。被介護保険者となってしまった今年「やるなら今しかない」を日々反芻する場ともなっている。
 
今日(24)は、台風20号の影響で昨夜来の暴風雨。午後には、風は何とか治まったものの時折激しく雨が降り、種を蒔いて3日目にして「恵みの雨」が続いている。ふと、これからが“本当の「那須暮らし第三期」”となるのかもしれない、と思ったりしている。

 「台風13号」は、西日本豪雨の余波もあってか、予報段階では「大変なことになりそう」と思うほど“備え”や警報への対応なども含めて、繰り返し放送されていイメージ 1たものの、何とか上陸せずに済んだ。梅雨時以来の降雨量が平年の半分程だったため一面カラカラ状態。草刈機を使うとモウモウと土埃が上がり、頭から足元まで埃に塗れてしまっていた。このノロノロ台風で断続的ながら雨が降り続き、降雨量は控え目ながら十分なお湿りとなった。それに熱中症に怯えて過ごすほどの猛暑(30℃越えは当たり前)が一転して10月半ばの気温"になり、夜は冬物のベストを羽織る程。気温の乱高下に体調管理も覚イメージ 2束ないものの、やはり「少し寒いくらい」が活動的になりやすいことこの上ない。34日前までは、半ば無理やり体を動かして草取りや土寄せなどをしていたが、忽ち汗が噴き出して来て全身ズブ濡れ。地面はカラカラでも草は相変わらずの勢いなので何度も着替えながら少しでも進めようと頑張るものの、午後になると頭がクラクラしてくるなど一向に能率上がらない(おかげで洗濯機は大忙し)。体には寒さより暑さの方が圧倒的に負担になって来た(最近は特に・・)
 
昨年までと同様に「草に追われる感」はそれほど変わらないものの、圧倒的に“畑が綺麗”で、“追われている”という逸る気持ちは少なからず影を潜めていくようになった。これと並行して、「第三期那須暮らし」を実感することも多くなっイメージ 3てきたように思う。草取りも草刈りも、昨年は「やってもやってもキリがない」「何とか逃げたい(解放してほしい)」などと思いながら必死に戦っている、という感覚が強かったが、今年は、「23日もあればケリがつくさ」と高を括り、し終えた時の“爽快感”に浸ることが多くなった。恐らく、「あれもこれも・・・・」という欲張ってきたものがほぼ片付いて、目の前にあるものに集中することが可能になったからかも知れない。
 
庭先や通路、雑木林などの草刈りは、チップソーの円盤状のものでなく、“ナイロンカッター”を使う。今年5月に入手した「自動送り出し式」が頗る使いやすく能イメージ 4率も抜群。ナイロンカッターは、2~3年毎に新しい形、機能のものが出てきているので、その度に買って(10003000)使ってきた。新しくなる度にその使い勝手や耐久性などが向上していく。まさに日進月歩。ただ、この場合「23cc以上に装着してください」など書いてあるように、エンジンのパワーが必要で、ここ23年で2台とも買い替えた。値段も税込みで2万円弱の普及品だが、これらの性能も日進月歩。
 
4日前、台風の予報に慄きながら南雑木林の下草刈り。半日でほぼ片が付き、展望台や“レンガの散歩道”も植えた草花に用心しながら刈りイメージ 5払う。ハイパワー機でガンガン進めるので、土まで削れて猛烈な勢いで飛散する(庭などでは砂利が吹き飛んで大騒ぎ・・・)ので防護面や前掛けで完全防備。展望台も百日草やマリーゴールドが咲き誇り、(まだまだだが)随分綺麗になって来た。刈り進めるうちに、ここに大谷石を運んでは並べた昨年9月のことが昨日のことのように脳裏に浮かぶ。そう言えば「第三期の始まり」を実感したのもこの時だった。
 
昨年9月。雨模様の中、一か月余も遅れてしまった原木の本伏せを終えた翌日から懸案の「展望台づくり」に取り掛かった。まだはっきりしたイメージがあるわけではなかったが、兎に角思いつくままに大谷石を運んでは並べていく。思ったよりイメージ 15急斜面。“ヒィーヒィー”言いながら一つ一つ運びんでは並べていく。
 
並べ始めてみると、普段「単調な傾斜」と思い込んでいたところも東西南北、あらゆる方向に複雑に傾斜していて、58mの長さに水平に並べるのは至難の業であることを思い知らされる。当初は並べていく長さ、形状に“目見当”で溝を掘ったところに一つ一つ「水平器」を当てながら進めていたが、1cm動かすにも息を止めて力いっぱい。微妙な調整に四苦八苦。転がしながら移動し、一つひとつ地面を均しながら調整する方が圧倒的に楽なことが判明すると、何度も「水平器を(探して!)あてがう」ことにに苛つき始め、知らず知らずのうちに全て“目見当”での作業となった。
 
 それでも見た目では意外に水平のように見えるので、我ながら「良いセンスしてイメージ 6いるのかも」などと自惚れる始末。大きさにもよるが一段当たり10数個(3070cmの長さのもの取り交ぜて)の大谷石。まずは傾斜の下(花壇との境目付近)から始める。1015mの距離があるので、一輪車に34個積んで緩い傾斜部分を選びながら(決死の形相で)運び、大切にしている「ヤマボウシ」の根周りからローバーポートとベランダの間の方向に約8m。結構な時間がかかって仕舞い、初日はここだけで終わってしまう。相応に手慣れてきた2日目は、花壇寄りの5m程の2段目。太い木の根を切り取り(これに時間がかかってしまった)ながら並べる。一息入れる度に眺める景色がイメージを湧き立たせてくれるので、「どこにどのように並べるか」が次々に浮かんでくる。
 
それに背を押されるように、ほぼ一心不乱に3段目。「どんどん大きくなってほイメージ 7しい」と切望している“大島桜”の回りに直径1.5m程の半円を描くように3m程に並べる。円状になるように少しずつ角度をつけていくのも、思っていたより簡単にできるのに我ながら驚きながら気持ち良く並べた後、遠目で見てみると歪んだ半円だったりして慌てて並べ直す始末。一輪車も使えず手で一つ一つ運ぶ距離が最も遠い4段目。傾斜もキツク、足元が定まらないようなところだったが、手慣れた勢いで仕上げると、雨がシトシト降る中とっぷり日が暮れていた。
 
翌日朝、また雨がシトシト降っている。ウズウズしているのも間尺に合わないとイメージ 8買い物がてら「何か適当な草花か、鮮やかな実のつく低木はないか」と道の駅などを回ったものの、一軒目を一巡しただけでこの時期そんなものある訳はないと気が付く。単なる時間つぶしになってしまったが、戻ってくると雨も小降りになり、空も明るくなっているので56段目を並べる。ここからは大谷石の置いてあるところよりも高い位置になり、石を抱えて運び上げる格好になる。特に6段目は、ブランコを配した頂(我が地の最高地点)部分に近いところで、70cm級のものは転がしながら急傾斜を運び上げる。これも結構“手慣れた感”もあるが、流石に息が切れる。一転がし毎に息を整え、転がすこと510回。並べたいところに到達するのに56分かかることも。
 
イメージ 9成り行き任せに6段目まで並べ切るとローバーポート脇に積み上げてあった石も1m級の4本を残して(奇跡的に)丁度並べ切る。最後は、当初から何となくイメージを膨らませていたローバーポートとの間にある深さ(ホンの)230cm、幅1m程の溝をまたぐ石橋のような形を作る。積み上げてあった中で最も大きな大谷石4個を何とか橋のように据えて、着想からほぼ半年も経ってしまったが、懸案の大谷石並べを終える。泥だらけのまま上から、そして下からシゲシゲ眺めると、思っていたより見栄えも良いのに大満イメージ 10足。そもそも「展望台を作ろう」という発想の原点となった「“楢の大木”の切株(テーブルや椅子を配するつもり)のところに、どんな「“東屋風”の小屋掛けをするか」など、さらにイメージを膨らませる。「太い杉丸太を一本立てて、それに放射状に屋根を・・・」などと思ったものの、「冬になったら、さらに10数本の大木を伐採して展望台自体を広げよう」と思っていたことを思い出し、「テーブルや小屋掛けは伐採後だなー」ということになったところで日没。
 
翌日、またまた伸び放題なっていた雑草を刈り払い、町道からのアプロ―チもすっきり。不思議なもので懸案が片付いた心の晴れ間に合わせるように小さいながイメージ 11らも久々の夕焼けが覗く。すっきりとはいかないまでも、(毎日1度は)小雨が降る程度の天候になり、“ヤル気のエンジン”はハイ・スロットル。そうなると、これまた懸案の「農具置き場づくり」も急にイメージが膨らみ、アグリ・ケビン脇の(乾燥小屋のつもりで作った)小屋の川側の側面に適当な木を打ち付けて、鍬や熊手、シャベル、ツルハシなど20本ほどを一気に掛け終える(所用時間約40)。これでまたまた勢いづいて、「不燃物入れづくり」にかかる。
 
イメージ 12那須では、月に2回程、(部落ごとの)公民館もしくは集会所脇にある集積所に回収車が回って“来るらしい”が、(我が部落では)しっかりと鍵がかかっているため、2月に一度くらいの割合で片道20分ほどのところにある「町の“クリーンセンター”」に運ぶ。これまで家の裏手の軒下に雑然と置いていた不燃物を何とかスッキリできないかというのも定住以来の懸案だった。特に雨ばかり降っていると軒下まで吹き込んでグジョグジョ。一旦広げてある程度乾かしてから運ばざるを得ない状態が続いている。まして、軽トラで運ぶほどの量ではないので綺麗な「町指定のビニール袋(30ℓ、10枚で300)」に詰め替えるなど、気の滅入ることも度々。
 
イメージ 13辺りに積み上げてブルーシートを掛けてある板などの資材から適当な材料を探し出すのは途轍もなく時間と気力が必要になるので、どうしても「そのうち・・」となり、あれよあれよと言う間に月日が流れ去っていいたが、ヤル気のエンジンが勢いづいていて何の躊躇いもない。懸案の「資材置き場づくり」をイメージしつつの健太ガレージ脇の潰れたビニールハウスの中の山を一つ一つ雑木林の端に移動しながら適当な材料を取りイメージ 14出し、転がっていた鉄パイプ(16mm)と組み合わせて都合3時間程で出来上がる。適当にペンキを塗って仕上げて「与太郎ハウス(玄関前の物置)」脇に据え付ける。さらにその勢いで、「(ストーブの)焚付置き場」なども作ってしまう。ひとつひとつ懸案だったことが片付いていくとますます勢いづいていく。雨ばかりではあるが、「こんな(素晴らしい)時間の流れがあったんだ」と心躍るような毎日。

こんな細かなことまで鮮明に思い出せるのも「第三期の始まり」という印象深い事態だったからかもしれない。今朝(10)はノロノロ台風が過ぎ去った後の正に「台風一過」。朝から青空が広がり(昼前には雲も広がって若干ながら凌ぎ易くなり、午後はザンザン降りになったが・・・)、セミがしきりに鳴いている。ドンドン気温が上がってきて30℃に届かんとしている。昨日までの涼しさが嘘のようだ。そう言えば、台風の接近で急に気温が下がった時、沈黙するセミに代わってコオロギなどの虫の音が辺りを包んでいた。自然というのは何と素晴らしいんだろう。
それにしても今朝の暑さ。「体がついていけない・・」と言い訳しながら思い出話を書いてしまった。

深い緑に覆われて始めてからあっという間に4カ月が過ぎ去っていく。昨年夏ぐらいまでは、花壇や雑木林、それに畑で作業を楽しんでいると「こんなことを書こう」など言ったことが心の中に滲み出てくるのが常だったブログ。最近は「何を書こうか」などと思いを馳せることも稀になってしまった。約1年に及ぶブランクは、何時しか心を閉ざしてしまったかのように「我が世界を表現する」ことから遠退いてしまっていることに気づく。「虫たちの姿や動き、土の色、鳥達の鳴き声、柔らかな風、そよぐ枝葉」などほんの小さなことが、それなりの感動を与えてくれていたのに、これらにも気が付かないような昨今。相変わらず、一瞬なりともそんな感傷に浸ることは枚挙にいとまがないはずだが、何故か“心に染み入らない”ようだ。
 
定住して丸4年。思えば「ここまでよくやったなー」と時折感慨めいた気分に陥イメージ 1るほど浮き立って見えてくることがある。篠に覆われ荒涼とした原野、それに雑木林だったところも今や立派?な畑(当初石ころだらけの畑も、たいした支障もなく「健太1号」で耕運できるまでになった)や花壇に変貌し、瓦礫に覆われていた湿地も田んぼや陸稲場、それに30cmにもなった鯉やたくさんの金魚がゆったりと暮らしている池に変貌した。ジャングルを彷彿させるような(“猫も通れない”状態だった)雑木林もカタクリやキイメージ 2スゲがドンドン拡がっていくようになった。 
 
一方、ついに「介護保険証」とやらが送られてきたのは我が誕生日当日。それから暫くの間、何とも落ち着かないと言うか、心の置き場に困ってしまった。変わらぬ日々の流れの中に“ドボーン”と大きな石を投げ込まれたように「老い」を感じざるを得ないような公的な証。毎年の正月のように、否応なく区切りを付けさせられたような感じもする。そしてこれまた否応なく“我が老い先”に思いを馳せることが目に見えないベールのように我が身を包み込む。「何となく大切なモノ」だからと、耐火金庫の片隅に仕舞い込むとそんな重苦しい時間も次第に薄れ、これまで通りの「第三期那須暮らし」が展開していく。『「喉元過ぎれば・・・」を地で行く』とはこんな事態を言うのだと思い返すこの頃。
 
あっと言う間に過ぎ去っていく2018年。もう立秋。思い起こせば、足掛け20数イメージ 3年に渡って何度も心の中で描き続けて来た「丸太小屋」。目の前に立ちはだかっているような原野に挑み続けた日々も“何となく一段落したかなー”と思うようになり、次第に「“第三期那須暮らし”が始まった」と思い始めた昨年10月、以後徐々に現実味を帯びてきた。何度かラフスケッチを書き直してイメージづくりをしながら野積みしてある杉丸太(隣地の杉の木10数本を伐採し、さらに560本ほどの丸太を入手してから1年余)の「皮剥き」にも着手。
 
今年は連休前後からギラギラと照りつけ、梅雨時を経ても平年の半分程度の降雨量。そう言えば、昨年は晴れ間や“暑さ”に身を焦がすことが少なかった。暑さにイメージ 4疲弊するこれまでの夏から一転。晴れ間の覗くのも稀で毎日毎日曇り空。目が覚めると雨が降っていて、時には豪雨に近い状態。一瞬にして“川と化す”通路、水溜まりに囲まれる池。8月22日以降34日だけは久方の夕焼け。随分見ていなかったので何故かホッとするとともにほのぼのとした柔らかいノスタルジックな気分に包まれる。「コロ、夕焼けだよ」と声をかけるも、ポツンとあらぬ方を眺めている。ムサシは相変わらず落ち着かずにウロウロするばかり。
 
お天気に振り回されていた日々の虚しい時間の流れに囚われすぎていたことに気付き、ドロドロにぬかるんだ雑木林脇をうろついてみると、ふと目に入った「仮伏せした椎茸、ナメコの原木」。「梅雨明け頃に本伏せすべきだったのに・・」とほぼ1ヶ月遅れで思い出す始末。梅雨時はカンカン照り、梅雨明け以降愚図つく毎日で完全に季節感が狂ってしまったようだ。「それにしてもどこもかしこもドロドロで足元不如意状態」。それに加えて時折降る雨に手も足も出ない。
 
それでも「何とかケリをつけよう」と思い腰を上げたのは819日。今にも降り出しそうな中、びっしょり濡れた原木を運び始めようと意気込む。ところが、肝心イメージ 7の「本伏せする場所」がなかなか決まらない。一昨年、昨年と伏せ込んだ「健太ガレージ」近くの川沿いの窪地は、確かに湿度はまあまあながら、特に冬場は45時間木漏れ日がしっかりと射してしまう。5年前に伏せたところ(ローバーポートから15m程南、南雑木林の東端部分)はシイタケなどの出具合が捗々しくなく栽培環境としては不向きらしい。さらに那須に居を構えた23年後から数年間伏せ続けてきた“北雑木林”の川沿いは既に満杯状態、しかもキノコ達の出具合も突然思い切り生えたりするものの、いつも1~2本が申し訳程度に生える程度(ここも環境がイマイチ)。何よりも軽トラも入らないので一本一本担いで急斜面を下りる必要があり、体力・気力が低下傾向にある昨今、原木運びはもう大変。
 
都合1時間余もあちこちウロウロしながら適当な場所を物色。そのうち雨がポツイメージ 5ポツ降り出してきて「今日は諦めるか」と思った時、ふと、南雑木林の中ほどの(西向きの)急斜面に、その昔「炭の野焼き」をしたと思しき窪地に目が行く。「風通しが悪いなあ」と思いつつも、「ここしかないかなー」と一大?決心。仮伏せしたところから145mのところ。一本一本担いで斜面を運ぶのはちょっと憚れるなーということで、久方に「健太3(クレーン)」始動。相変わらずの快()音を轟かせつつ快調な動き。ほぼ一年振りに荷台を満載にする。滑りに滑る濡れた原木を抱きかかえるようにしながら積み込み、イメージ 910m先の5m程の傾斜を上る。単気筒ディーゼルエンジンが力強くキャタピラを回し、登るにつれ車体が大きく傾くと、流石にちょっと怖くなる。
 
2台分を運び終え、原木がすっぽりと収まった窪地は、「やはり風通しは望み薄だなー、まあここでどんな結果が出るか」。落ち葉に埋もれていた山肌にキャタピラの轍が深く(15cm)線を描いている。お蔭でキャタピラをずっしりと土が覆っている。足場の不安定なところで、エンジンを掛けようと始動ハンドルを回していたイメージ 6が、体勢が崩れた折にハンドルが外れて吹っ飛んでしまう。「さー大変」と跳んでいった方向に10m程の範囲を探し回る。15分程あちこちと落ち葉を掻き分けたりしていたが、「諦めるしかないかなー」。一旦あきらめ掛かったが、それでももう一度探すと4m程のところのツツジの根元に転がっているのを発見。一時は「(この世に出て40数年の)老いぼれ君もついにオシャカか(到底この手のハンドルは見つからないので)」と思ったが、“天はまだ見捨ててはいなかった”と、ほのぼのとした気分に包まれつつ、ガレージに戻す。もう体中泥だらけ。
 
一月以上遅れてしまった「本伏せ」が終わると、何故か“ヤル気のエンジン”が始動し、スロットルも大きく開き始めたのか、翌日から懸案の「展望台づくり」にイメージ 8取り掛かる。まだはっきりしたイメージがあるわけではないが、兎に角思いつくままに大谷石を運んでは並べていく。意外に急斜面で一時軽ダンプを駆使しようとしたが、4WDも力及ばすにただ横滑りしながらあらぬところに行ってしまったので、“ヒィーヒィー”言いながら一つ一つ運び、並べること丸3日。なかなかイメージか纏まらずに手を拱いていたが、「やり始めれば、ちゃんとイメージが出来上がっていく」。『とにかく、“具体イメージ 10的に動くこと”だね』という相田みつを先生の言葉を改めて噛みしめる。
 
こうして「第三期那須暮らし」が具体的に走り始めた。初挑戦の「蕎麦(雨続きで収穫時期をすっかり逸しイメージ 11たものの、何とか10kg程を収穫)」、大豊作の「柿」、さらに不調を極めた「陸稲」や「赤米」の収穫。それに続く「麦蒔き」や「大豆の脱穀」、「野沢菜などの漬け込み」など目が回るような激闘ともいえる日々が流れ去っていく。定住から3年程の間は“開墾中心”の暮らしで、何か大きな力に“突き動かされいる”とう感覚が強かったが、この頃から「明日はこうして、ああして・・」と“明日に向イメージ 12かって”自らの足を運んでいるという能動的な感覚が多くなり、それにつれて時の流れは想像を絶する程速さを増していくようになった。「to Do」から「to Be」の転換が、老い先までを身近なものにしていく。「やるなら、今しかない!!」が口癖のようになっていく。
 
すっかりブログから心が離れてしまっていたが、ここイメージ 13一月余、かつて随分お世話になった方々などから「乞う、ブログ復活」とのメッセージを頂く(またまたお心遣いを頂き、感謝の一語に尽きる)。台風の接近でカラカラの畑も久々の雨で息を吹き返しているばかりか、これまでの猛暑から平年の気温に戻ったことを機に、「錯綜する記憶の糸」を手繰り寄せて書いてみたものの、どうもスッキリしない文面になってしまった。まあ、以前のハツラツとした気分に戻っていく足掛かりになったかもしれない。また気が向いたときに・・・。

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