nasukentaのblog

立秋以後ずっと天候が安定せず、蒸し暑い日が23日続いた後は曇天と雨。そして台風の余波。秋雨前線がしぶとく居座り、畑や山仕事でも、細々とした作業に終始し、「やり遂げた!」と思えるような“まとまったこと”にはなかなか手が付かけられない日々が続く。
 
この春からの田畑や果樹づくりは「鳥と虫」の攻撃に四苦八苦。例年にない暑い夏の後、秋雨前線+台風の影響で曇・雨天が続く。それでも大雨というほどのものではなくシトシト傾向が顕著。毎年数回は目の当たりにする、我が家の西をほぼ南イメージ 1北に流れる大黒沢川の轟々たる濁流も今のところお目にかかることはない。こんな天候のためか鳥や虫は大活躍。反面、日々恐れをなして、トウモロコシには「防獣対策」も施したが、“イノシシ”は姿を見せずホッとしている(これからやってくるかも知れないが・・)
 
春先から夏のような天候が続く。今年は「プラム、ソルダイメージ 2ム。梨やネクタリン」などの果樹は大豊作。またまた“何者かにやられるかもしれない”と恐々としていたが、案の定プラムは「明日は収穫して食べよう」と思っていた矢先にほぼ全滅。ほんの数個を口にしただけで今年も幻の如く消え去った。ただ、今年は木の下に足の踏み場もないほど食べ散らかしや種などが散乱していたので、「鳥のイメージ 3仕業」であることは明らか(因みに昨年、一昨年と跡形もない状態で犯人像は特定し難かった)。大慌てでソルダムの木全体を防鳥網(4m四方のもの@2000)ですっぽりと覆った。それでも網の隙間から侵入したらしく、8割方は盗られてしまったものの、2週間程の間に都合30個程収穫。思いの外の美味しさに大満足。「たくさん採れても食べきれないので、この程度が丁度良い」のかも知れないと思うイメージ 4ばかり。
 
一方「梨」は、一昨年はタワワに実り、昨年はゼロだったので「梨も一年おきぐらいの周期・・?」などと期待が膨らんでいたものの、今年は5個程が実を結んだだけ。まあ、こんなものかと思っていたが、そのうちの1個は見事な大玉に成長。通常売っている長十郎を優にイメージ 5超える見事さ。これも「明日の朝採ろう」と思っていたが、翌朝行ってみると姿を消してしまっていた。残っていた小さめのものも順次無くなっていってしまい、結局口に入らず仕舞い。4本のリンゴ(富士・つがる)の木のうち、ハウス前に植えて4年目の「つがる」。たった一つだが今年初めて実を付けた。袋掛けして大きくなるのを心待ちにしていたある日、破られた袋とともに地面に転がっていた。(鳥も食べずに残してくれた)折角の恵みなので、早速試食。深い甘みと上品なイメージ 6酸味。見た目もイマイチで少々小振りながら完全無農薬、無肥料ならではの深い?味に恵まれたのはほぼ8年ぶりのこと。
 
イメージ 7昨年56個実った「ネクタリン」。なかなか色付かないまま、気が付くと朽ち落ちてしまっていたので、今年は・・と草取りの合間に覗き込んでみると、20個余の大豊作?。薄く色付いたものを試しに食べてみると驚くほどの甘酸っぱさに驚嘆する。その後数個を食した頃、残りの実に虫が入り込み、次々に朽ちていく。消毒すれば・・と思ったものの後の祭り(冬場に殺菌剤などを散布しておけば防げることを後で知ったが・・)。隣の「(大実)グミ」は昨年まで食べきれない程タワワに実っていたが、今年は早々に葉が落ち、木そのものが枯れかかるほど。根元部分に虫が入り込でしまったのが原因。これも冬場の対策が・・・。
 
我が家で最も早い6月半ばくらいには口にすることができる「ブルーベリー」。ベランダ下の大粒で甘さ抜群の(1本しかない)木は収穫が始まって3~4日すると一夜にして実が無くなってしまった。池周りなどに植えた数本も次々に色づき、採っても採ってもの状態が9月頃まで続く。お蔭で冷凍庫の一室を埋め尽くすほど。「健太ガレージ前」の“第二陸稲場”と池の間に植えて4年目の栗は昨年に引き続き大豊作で、小さい木なのに10日間程の間に3㎏程収穫。ベランダの川側(「ムサシ」の住まいの脇)の栗の木は、植えてから20年くイメージ 8らいになるがこちらも大豊作で、毎日「ボターン、ゴロゴロッ」と大きな音を立ててベランダに落ちている。毎日拾い集めていくと都合5kg程にもなった。「栗ご飯や渋皮煮」で堪能するも到底食べきれる量ではない。栗も樹齢が上がると虫が入りやすいようで、ベランダで拾うものは大凡5個に1個は虫にやられている(雑木林の端にあることも関係している可能性もあるイメージ 9が・・)
 
鳥に狙われているのはトマトも同じで、アトリエ前に145mの雨除けをして育てている約20余本の“中玉トイメージ 10マト”が、特にカラスに狙われている。ふと気づくと、まだ青い実が川沿いなどあらぬところに転がっていたりする。取りあえず、近づいて来る輩を脅すつもりで、「トラバサミ」2本を仕掛け、夜の獣用として点滅ライト2本も設えておく。設置し終えた翌朝、散歩から戻ってくるとアトリエ周りの上空に大量のカラスが群れ、盛んに鳴イメージ 11きわめいている。「何事??」と恐る恐る行ってみると、1羽のカラスが仕掛けたトラバサミに掛かってトマトの根元で喚きながら暴れている。近くで見るとカラスはホントに不気味な鳥であることを改めて知る。
 
去年は散々だったので、「今年こそ・・」と色々考えた挙句、18mの防鳥ネット2本で両サイドを包み込むことに(ただ、こうしてしまうと収穫の際に逐一ネットをタクシ上げる必要があるが・・・)。コメリで調達して戻ってきて、掛かったカラスの様子を見に行くと、何とか仕掛けから足を外したらしく姿が無くなっている。ホッとした感じに包まれながら、ネットを張り巡らし、「これで大丈夫なはず」と胸を撫でおろす。お蔭でイメージ 12今年は存分に収穫(冷凍保存分も十分に)できた。
 
8月も中旬となった頃、辺りの雑草を刈り払ってから、白菜や大根などの秋野菜の播種、苗の定植などを始めようと快調に刈り進め、序に「健太ガレージの裏」も刈ってしまおうと勇んで突き進んでいると、左脹脛の上部に尋常ならぬ激痛。「やられたー」とばかり慌てて草刈りを中止。取り急ぎイメージ 13汗みどろの作業着を着替え、病院探し。815日、お盆の真っ最中で、比較的近い病院は休診。仕方なく役場の保健センターに相談すると、兎に角、大病院Kに行ったら・・とのこと。取り急ぎ電話してみると「運転は危険だから、救急車を手配した方が・・」とか言われたが、「大袈裟のことは・・」と自分で運転していく。点滴に加えて、塗り薬、飲み薬など処方され、膝から下は包帯でぐるぐる巻き。「今度刺されたら命に係わる」と言われたのは5年ほど前の、やはり8月中旬。その時は“足長蜂”だったが、比較的自覚症状が軽かったので、これまで刺されたことのない“スズメバチ”のようだ。
 
翌日、恐る恐る現場に行って、あちこち突いたりしながら巣の在処を探してみるものの、辺りには数匹のスズメバチがウロウロしているのに一向に見つからない。満を持して地面に腰を下して蜂の動きを注視してやっと巣の在処を突き止める。軽トラを留置している川側に3段に積み上げてあった木のリンゴ箱の真ん中の箱の中に、盛んに蜂が出入りしている。3m余の竹の棒でリンゴ箱をひっくり返してみると直径20cm余の大きな巣を発見。草刈りをしている時に後ろから刺された理由がやっと判明。真かこんなところに巣があるとは予想だにしていなかった。
 
イメージ 14リンゴ箱ごと川の中に突き落とし、殺虫剤を撒くものの、シブトク蜂たちが集まって来るので、そぉーっと川底の方を覗いてみると、土手の途中に巣が引っかかっている。たっぷりと「蜂退治スプレイ」で封じておき、翌日辺りを片付けてはみたものの、足がパンパンに腫れあがり、痛痒いことこの上ない。「風呂に入ってはいけない」と言われているので、シャワーで水を浴びたものの、やはりサッパリとはいかない。ふと振り返ると、池の縁に「()鷺」がじっと水面を見ている。このごろ金魚が半分ほどまでに減つたのは「コイツの仕業か」。そう言えば池に日参している姿を何度か見かけた。
 
イメージ 15「何とかしなくては・・・・」と3.5mの竹竿に銀色のシートを括りつけて立ててみたものの、3日もすると何事もなかったかの如く鷺がうろつく。「どうしようかなー」とほぼ毎日悶々。収穫を終えたトマトを片づけた時、外した防鳥ネットを池の上に。これが結構効果的で、23週間に一度くらい鷺が降立つくらいにまでになった。鷺も暫くウロウロして飛び立っていく。それにしても「いったい何匹の金魚達が犠牲になったのだろうか」と溜息が出る。

 トマト跡のマルチ畝に白菜の苗を植えたのは8月末。ところが植えてから2日目にはほぼ半分が「夜盗虫(根切り虫)」にしてやられ、他にキャベツやブロッコリ―なども悉くやられてしまう。都合3回、苗床から苗を取って植え直し、最終的には8割方が育ちつつある。ただ、葉を虫に舐められたり、“半分”根切り虫にやられたりしたものが辛うじて葉を維持しているなど、直径30cmから5cmまでの凸凹状態。
 
イノシシからは攻撃を受けずに済んだものの、鳥や虫達に散々振り回されているうちに、既に桜やタラの木の葉がすっかり色づいてしまった。10月も中旬。これからは一夜毎に色濃くなっていく。「釣瓶落とし」とともに坂道を転がるように秋が深くなって行く。

 途轍もなく蒸し暑い日が23日続くこの頃。ところが大気不安定で、短時間ながら突然土砂降りになったり、日差しとともに雨が降ったりと、どうも落ち着かない。相変わらず、動き出して5分もすると、下着までズブ濡れになってしまう程の大汗。たまらずイメージ 1着替えても瞬く間にびっしょり。その上に突然の雨で、“中からも外からも”濡れる。8月の中旬には34日に一度くらいの割合で、最高気温が20℃前後にまでなる。30℃超にウンザリしていたので、「今日は涼しくていいなー」などと慢心していると、その薄ら寒さに驚くことも・・・・。
 
8月も後4日。2018年も3分の2が過ぎ去ってしまうと思うと、何処となく落ち着かず「時の流れの速さイメージ 2に」心穏やかならず。そうすると「そうだ。あれも、これも何とかしなくては・・」などと急に多忙感に包まれてしまう。昨日は16時過ぎから突然の豪雨であっという間に道路が川に変貌。暫くすると激しい雨とギラギラ陽射しが同時進行する。昔「狐の嫁入り」とか言っていた、一瞬時が止まったかのような錯覚に陥る。雨が止んでいた夕方の散歩時は思い切り“蒸し暑く”、コロは出掛けて3分もしないうちに「散歩拒否」。スタスタと家に戻り始めてしまう。浮かれまくっているムサシはキョトンとしながらコロに従っている。一旦戻ってムサシだけ連れて出かけると、近所の人が「今日は1匹・・」などと声をかけてくる。家に戻って暫くするとまたまたザンザン降り。今朝の散歩(530分頃から620)時も何とか雨は止んでいたが、その後またまた土砂降り。一旦雨が降り始めると暫く愚図ついて、気が滅入るほど。
 
昨日はここのところのお湿りで成長著しいキウイや花梨、花壇脇の柘植やアジイメージ 3サイ、ツツジなどの刈り込み、それにカボチャ棚下の草取りなどで一日が終わってしまった。昼過ぎ、汗で「全身ずぶ濡れ」の状態に耐え切れず、着替えに戻る途中、「赤米の異変?」に気づく。目を凝らしてみると茶色がかった“穂”が出ている。昨年から「もう少し色の濃い赤米を・・・」と、これまでの「夕やけもち」から「紅染めもち」に品種を変えたが、昨年は育苗が思うに任せず、田植えも530日になってしまった。それに雨続きの低温傾イメージ 4向もあって(ヤキモキの毎日)、やっと穂が出たのは910日過ぎ。その後一向に成熟せず、11月中旬に無理やり脱穀したものの、とても食べられるような粒にはなっていなかった(色は驚くほど濃かったが・・)。今年は52日には田植えをして、「7月末には出穂した陸稲」を横目に「まだかなー」とまたまたヤキモキ。改めてネットで出穂時期を確認すると一カ月違う(前者が8月初め、後者は9月初め)ことを知り、「そのうち出るさ」と思っていたが、予想より1週間程早く出穂。これで上手く成熟してくれれば、念願の「(“色の濃い”)赤米」が那須でも栽培できるということになるが・・・。随分気を良くしつつ、家に戻って来たものの、今度は、この7月初めにピザを焼いて以来ご無沙汰している「石窯」が目に入り、「そう言えばあれ以来火も焚いていないなー」と溜息が出る。石窯作りも那須に居を構えて以来の“夢”。早々に調達した「大谷石」も苔生してしまっていた。
 
(夢の)アトリエ」づくりで余った(余らした?)丸太を無理矢理使って、まずはイメージ 5「カーポート兼BBQ小屋」を作り始めたのは3月初め(その「西側に隣接したところに石窯を作ろう」との目算)。以前から「駐車&BBQスペース」として使っていイメージ 6たところに4m×4m程の小屋掛けをする。アトリエ作りで培った?ノウハウをフルに活かして、基礎作り1日半(大きな石が埋まっていて苦戦を強いられてしまった)、柱などの加工・運搬に半日。屋根掛け2日弱の都合4日間で格好(これから色々造作していくつもりなので、柱8本に屋根を葺いただけのものだが・・)にする。
イメージ 7 
その後、畑仕事などに感けて、なかなか手を付けられずにいたが、5月末(29)にやっと石窯作りに着手。小屋の西側に、大き目の石を運び、砂利と路盤材で基礎部イメージ 8分を設え、脇に積み上げてあった大谷石で、幅90cm、奥行き120cmに組み上げていく。最初の2段目(高さ60cm)まではあっと言う間に出来たものの、その後、「上部の半円状の部分(焼き窯部分)をどうつくるか」で悶々とする日々が続く。その間、畑の草取りやら、展望台下の石垣積みなどと並行しながら思い悩みが続く。現有の石をイメージ 9加工せずにそのまま積んでいこうということに“拘り過ぎているんだ”と思い直し、早速入手した「石材用のカッター(ディスクグラインダー用))」を使って大谷石をカットし始めると急に作業が進み始める。
 
ところが、今度は「投入口」の扉を巡って、またまた悶々。辺りに転がっていた古―い「量水器の蓋」を取りイメージ 10付けられないか、と思いついてから、さらにその付け方をイメージするのに三度悶々。「4隅の突起部分を切り落とし、耐火煉瓦に挟み込むようにして固定する」という結論に達するのに1週間もの時間が流れていた。とりあえず“仮組”してみると、これが意外に「カッコイイ!!」。さー、一旦崩して、耐火モルタルで固めながら本組しようと言う段になって、縦30cm、横15cm、長さ90cmを中心とする大谷石を積み上げた際の悪戦苦闘を思い出してしまい、「何とかこのまま仕上げられないか」と、また悶々。
 
石の繋部分に耐火モルタルを詰め込むようにしながら「隙間」を埋めつつ、さらに、表面にはコンクリートモルタルを塗って、何はともあれ仕上げていく。ここでイメージ 11「煙突はどうする」とまたまた悩み始めてしまう。とにかく「“石ノミ”でコツコツと直径10cm余の穴を掘り始める(23日かかるかもしれないと思いながら)」。3分の1程まで進んだところで、何と石が「バカーン」と割れてしまう。こうなれば・・と「石・コンクリート用の研磨砥石」も動員して何とか穴を掘る終える。「初めから2つの石を半円状に削れば造作なかったのに・・」と遅ればせながら気づく始末。ともあれ、何とか曲がり煙突を取り付け、耐火モルタルで固定イメージ 12し終えたのは71日。
 
モルタル類が完全に乾くまで「1週間くらいかな」とぼんやり思っていたが、2日後には雨が降り、しっかりと水を吸い込んでしまった。「こうなったら火を焚いて乾かそう」と、目出度く?“火入れ式”。小量ながら、あちらこちらから煙が漏れてしまっているが、何とか“炉内”の温度が上がっていくのを確認。翌日再度耐火モルタルなどを調達して、これらの穴を塞ぎながら、ふと、「焚口や煙突などの大きな“開いた部分”があるのに、こんな小さな穴などに拘泥しても仕方ないのではないか」などと思い始める。それでも「(煙が)漏れるより漏れない方が良いに決まっている」ということで、都合で丸一日、隙間埋め、上塗りなどに費やす。
 
そして、スーパーから「半額割引」となっていたピサを買って来て、半日近く火を焚いて温め続けた炉に投入したのは76日。前の晩にまたまた雨が降ってしまっイメージ 13たためか、なかなか思う温度(300℃くらい)には届かず、結局“生焼け”。最後はレンジでチンして食べてみたが、「こんなに“不味い”ものか」と驚くばかり。それに手作りした「ピール(ピザを載せて炉内に出し入れする道具)」も全く思い通りの使い勝手でないことに、我ながら情けなくなる程。
 
翌日、リベンジすべく、朝早くから火を焚き、十分に温度が上った12時前、直径45cmの「大ピザ」を半分ずつ(入り口が小さいので)焼いて、(数名の客人ともども)頬張る。何とか思い通りに焼け、しかも抜群の味。やっと叶った夢の瞬間に歓喜しつつ、「あとは石窯部分の屋根掛け、それに煙イメージ 14突だな」と、もう次の課題で頭の中が一杯になる。
 
ジャガイモや麦の収穫などを挟んで、残材を組み合わせて石窯用の屋根を増設(丸一日)したのは721日。さらに知人から貰い受けた「使い古しの煙突」を取り付け、ステンレスイメージ 15板で「ピール」も作り直して、「石窯関連」が全て完了したのは89であった。なんと5ヶ月余も掛かった石窯づくり。まあー、生まれて初めての“石材加工・組み立て”、さらに煙突付け。戸惑い、立ち止まり、悶々としながらも出来上がってしまうと、何となく興味が薄れかけている自分に呆れかえっている。「雨が止んだら、ピサを焼いたり、シチュウなどの煮込み料理でも作ろうかな」などとボンヤリ考えつつ、庭木などの刈り込み作業に戻る。さーて、三度「火を入れる」のは何時になるか・・・・。それにしても『「夢」は諦めなければ必ず叶うもの』だとつくづく思う。

「立秋」とは良く言ったもので(たまたまかもしれないが・・)その日を境に、特に夜は嘘のように凌ぎ易い。急に気温が下がった時、どうにも体がついていけず、冬物衣料を物色することもしばしば。コロ達との朝晩の散歩時には「虫の音」を聞きながら歩くことが多くなった。雨が少なかったため、雑草類も相応に“伸び悩み”をみせているらしいと思っていたものの、どっこい、自然はそうは甘くなイメージ 1い。カラカラの土の中からニョキニョキと出てきても瞬く間に30cmを超えていく。
 
陸稲場などの畑の草はほぼ2週間で元の状態に戻ってしまうが、雨が降ると10日前後までに早まる。「やってもやっても・・」の状態が加速されていくのが通例だったイメージ 2が、今年から「土寄せ」をすることを思いつき、大豆や陸稲などは草取りの後、軽く土寄せをしておいてみたところ、効果覿面。ほんの少しでも土を動かしておくと随分草が抑えられることを改めて確認したところ。
 
土寄せや掻き回しの出来ない通路などは、相変らず10日程の期間で元の木阿弥になるため、頻繁に草刈りを繰り返す。比較的疎らに草の生えているところや石、枝木やなどの障害物のある通路、雑木林などは「ナイロンカッター」が仕上がりも綺麗でしかも効率的。大分凌ぎ易くなったとは言え、日中は当たり前のように30℃を超え、ジリジリ照りつける日当たりでの作業は5分も続かない。何時しか日陰に逃げ込んでしまうものの、噴き出した汗が急激に冷え、動いていないと薄ら寒さを覚えるほど。
 
イメージ 3ここ一週間程は、秋採り野菜の播種に追われる。白菜や大根などに加えて、野沢菜や高菜と言った漬物用、さらに、水菜やチンゲンサイなども一気に蒔く。白菜やキャベツ、ブロッコリー、コールラビなどは苗床や箱蒔きなどにする。34日もすると双葉から本葉も覗くようになる。天候にもよるが播種から概ね2週間程で定植する頃合いになる。このため、これらの苗を植える畝なども仕立てていく。昨年始めて挑戦した「ビーツ」。播種イメージ 4時期が大幅に遅れたため、十数個のみ3cmほどまでになったものの、殆どモノにならなかった。今年こそはと思いながら、種袋を確かめると「寒冷地は7月末くらいまで」となっている(これまで「暖地での播種時期」より少し早目に・・と思い込んでいた)。「もう遅すぎるかなー」と思いながらも真っ先に蒔いておく(またまたモノにならないかなー)
 
その日その日毎に「ここまではやり終えよう」との目算に向かって、workrestを小まめに繰り返しつつ、時には躍起になって作業を進め、一畝ごとに「アトリエ」に逃げ込む。このアトリエ、今年17日から建てはじめ2月末には何とか思うイメージ 5ような形にまでなった。長年の夢でもあった丸太小屋も「アトリエとして使おう」と思い立ってからはドンドンと事が進み始めた。と言っても思い返せば、材料となる杉丸太の伐採・調達から2年余を要したことになる。玄関前の(隣地の)杉十数本を伐採し、健太ガレージ前まで運び、知人から譲り受けた50本余とともに積み上げてから1年余を過ぎた昨年夏ごろから少しずつ皮を剥きはじイメージ 6め、12月末ごろまでかけて何とかめぼしいものを剥き終える。それと前後して、「(地面が凍らないうちに・・)基礎石を並べる。何となく切りのいい“4m×8m”とすべく、何度も巻尺で確認を繰り返しつつ、また、4隅の直角を出すのにも四苦八苦。「直角三角形」をイメージしながらも全く思うに任せず、最後は“勘”に頼ることに。例によってバケツの水とホースで水平を出したとは言え、結局「大体この辺りだろう」で決めていく。礎石は使い慣れた?フェンス用(高さ45cm)のものを埋め込む簡易方イメージ 7式。
 
材料の切り出しを始めようと言う段になって、一番時間を要したのは、根元の直径が123cmから50cmと多様な太さ、さらに梢に向かって漸減していく直径も長さも千差万別の丸太をひっくり返しながら選り出す作業。年明け前後から時折降る雪(精々10cm程だが)、それが凍り付いて1本動かすのも容易ではない。時折「健太4号」で一気に突き崩したり移動したりもしながら、まずはメインの柱とすべく丸太(12)を選り出す。次の難問は屋根の傾斜。最も簡易に作業が進められる、柱の長さで傾斜が決まる方式に拘泥するあまり、悶々とすること34日。色々計算したりしたものの、どうにも決断できず、最後は「なるようになるさ」とばかり、真ん中2.5m、両サイド2.0m、その間2.3m.。これに基礎部分に差し込む分として、それぞイメージ 830cmを足して切り揃える。<
 
さらに基礎石の10cm四方の穴に合わせて、根元部分を30cm程の長さに切り揃えていく。当初、「鋸とノミ」でコツコツ始めたものの、「間尺に合わない」ということで木口に指金で“一辺10cmの正方形をけがいた”後、チエンソーで切り揃えてしまう。そしていよいよ柱を立てる段になって、どうしてもすっぽりと入らない。そう言えば、と確認してみると礎石の穴は、上部は10cm四方だが下部は8cm四方。仕方なく1本1本切り込みをし直しながら12本の柱を立て終えるのに3日も掛イメージ 9かってしまう。そこに(根元の)太さ18cm前後、長さ4.4mの丸太5本を東西(畑側の正面から川側の裏面)に載せる。これもなかなかの難題で、柱に当たる部分の太さを確認しつつ、水平に渡せるように切り込みを入れ、脚立イメージ 102本を駆使して慎重にかつ大胆に進める。
 
ここまでくると、「家のよイメージ 11うなもの」に見え始めてくる。勢いづいて、渡した横木に軒に向けて、長さ4.2m物、計10本を乗せていく。慎重に一つ一つの作業を進めていったものの、脚立の足元が柔らかいところだったために最上部に立ち上がった瞬間にひっくり返って仕舞い、倒れた脚立に後頭部を強打。一瞬気を失っていたが、何とか起き上がってみると鼻水がドドーと出てきてしまい、「倒れてしまったら、このまま逝ってしまうイメージ 12!!」と気合いで乗り切る。一人暮らしの一人作業は、こんなこととも背中合わせであることを改めて痛感しつつ、暫し呆然。家の格好になると後はトタン板を打ち付けるための幅10cm余、厚さ1.2cm程の板材を適当に打ち付け、屋根を葺く。「明り取り」をどこにするかも結構悩む。というのも、(その時点では)屋内の真ん中付近に“炉”を設えようと思っていたので、「塩ビ波板」が熱で変形しないような位置をあれこれ模索するも、用意した波トタンの尺に規定されてしまうため、これまた最後は「エイヤ」。
 
イメージ 13西側(川側)から葺き始め、やっと半分まで葺き終えた夜に雪が降り、一時作業が中断したが、強引に雪を除けながら屋根全体を葺き終えると、思い悩んだ「屋根の傾斜」もイメージ通りで、その出来栄えにすっかり悦に入る。こうなれば、天気にかかわりなく作業が出来ると気が入る。柱と柱の間に後付けながら、コンクリートブロックイメージ 14で基礎部分を作り、15cm以上の太さの丸太を1本1本「電動斫り機」で上下を削り、柱と柱の間に土台を回した後、適当な太さのものを次々に運び込んで、上下を斫りつつ積み上げていく(1日12~3本がやっと)。畑側4か所に10余本ずつ積み上げてみると、「到底、壁全体を積み上げるほどの“丸太はない”」ことに、改めて気づき、「さーて如何したものか」と思いを巡らす。結局、延べ12か所のうちの8イメージ 15所のみに丸太を1.2m程の高さに積み上げ、2か所はベニヤ板などで埋め。残り2か所は出入り口を設えることイメージ 16に。
 
ベニヤ板を貼ったところには、「これまで集めたり、貰ったりした各種道具類を飾るようにしよう」と思い付イメージ 17き、薪割用の斧類、板挽き用の大鋸、「“指物”づくりの小道具類(50)」などを並べる。さらにその両サイドを中心に「木イメージ 18のリンゴ箱」を5段積みした工具棚を一気に作り上げる。電動工具や道具類が並んだ壁を背に悦に入りつつ、「そうだ作業台を作ろう」ということで、都合3台を作り上げて据え付ける。こうなれば、更に勢い付いて、10数年前に地元の工務店からイメージ 19貰ってきたドアを3日掛かりイメージ 20で取り付る。さらに、反対()側に1.8.m幅の“吊り戸”を作って何とか出入り口まで仕上げ終える。
 
「俺って意外にやる・・・な」と自惚れ始めた頃、郵便屋さんなどを除いて殆ど他人など来ない我が家に呼びもしないのに34人も見物人が現れ、「こんなに道具を並べて、泥棒にやられるぞ(不動産屋ST)」とのご忠告。いろいろ考えあぐねたものの、「泥棒が入れないようにする」までの造作は到底無理なので、とにかく「泥棒が“入り辛く”する」べく、空いている窓部分に板や木の枝などを適当に打ち付け、表側には金網を貼る。まるで「鳥小屋みたいだなー」と思いつつ、ドアには適当な鍵を付けて、さらに「atelier kenta」の看板を掲げて一応完成の運びになった。因みに床面は「atelier」の元々の意味である「木屑などが堆積した場所」ということで、土間に木屑を敷き詰める(これが実に歩きやすく、感触も気に入っている)。以後、ここで、木工、鉄工その他、思いつくままに色々作る場となった他、畑作業の合間の休憩や、雨宿り場、そイメージ 21して作業場として等、ここで過ごす時間がドンドン増えていく。
 
その後、自己流ながら電気配線などもして、エンジン発電機による照明(工場用ライト @1000+送料)をつけたり、かつて集めたオイルランプを配したりと、それらしい雰囲気づくりに時間を費やす。丸太を積み上げた部分は、(積み上げ時)丸太自体が凍っていたり、湿気を含んでズッシリと重かったものはドンドン乾燥して隙間を作る(ログハウスなどでもセトリングが欠かせないように)。それが日毎に目立ち始めてしまったものの、何があっても“我が城”で「この隙間だらけがたまらない“味”」となっている。それに「木屑の匂い」が充満していて、これが心を平らかにしてくれる。
「何事も、“やれば出来る”」。「為せば成る。成らぬは人の為さぬなり」を体で覚えたアトリエ作り。被介護保険者となってしまった今年「やるなら今しかない」を日々反芻する場ともなっている。
 
今日(24)は、台風20号の影響で昨夜来の暴風雨。午後には、風は何とか治まったものの時折激しく雨が降り、種を蒔いて3日目にして「恵みの雨」が続いている。ふと、これからが“本当の「那須暮らし第三期」”となるのかもしれない、と思ったりしている。

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